横浜曙町 親不孝通りの赤線跡

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01

まるで墓標のように元ちょんの間が立ち並ぶ死んだ色街を目の当たりにした黄金町を背に、重たい足どりで川向こうの曙町へと向かった。

02

曙町は戦後発展した新興のカフェー街で、3つの区域に分かれていたそうだ。
昭和30年発行の『全国女性街ガイド』によれば、しめて119軒女性371名と言うからかなりの規模だったことが窺える。

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しかし場所が場所だけに、往時の建物はそのほとんどが新陳代謝という名の残酷めいたシステムによって無に帰してしまっている。

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国道16号線にしがみつくように並走する一本北側の細い路地。巷で『親不孝通り』と呼ばれるその場所に、いくばくかの生き残りたちがほそぼそと余生を送る姿を拝むことができる。たとえば、これなどがそうである。

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そのセンセーショナルな固有名詞は、この街の妖気に骨の髄まで侵された放蕩者が、親の死に目に会えなかったという至極ありえそうな物語に由来している。ただし、事実かどうかはよくわからない。

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風営法で、200m離れていないと営業できないという規制の対象になっている病院が撤退したのが1993年。
その後、曙町には堰を切ったように風俗店が進出し、現在は全国有数のヘルス街となっている。これは好き者であればよくご存知のことと思う。

10

街の風景と醸す空気に身を委ねながらそぞろ歩きを楽しんでいたまさにそのときであった。
突如目の前に、時空を超えてたどり着いたとでも言うべきであろう、現代にはあまりに不調和なカフェー建築が現れたのである。

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オール直球の真っ向勝負に三球三振を喫したような黄金町の完敗が、気のせいじゃないあの徒労が、報われた気がした瞬間であった。

09

やはりタイル貼りの物件を拝まないことには、どうにも色街に来たという実感が湧かないのである。我ながらそろそろ末期だと思う。

07

目立たない所にまで趣向を凝らす。そしてそれは注意深く観察すれば必ず見つけることができる。
これこそ色街歩きの醍醐味のひとつであると思うのだ。

(2ページ目へ続く)

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