もはや観光地 京都最大の花街『島原』はこんな所

京都府
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島原は、東西約180m、南北約220mと面積自体はかなり小さい花街(遊郭)であった。
東の吉原、西の島原とはよく言ったもので、サイズだけ見たらライバルどころかまるで勝負になっていない。吉原の完勝である。

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輪違屋と角屋

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それだけ格式の高さが突出していたのであろう島原で、往時の名残をとどめるひとつがこの輪違屋。
現在もお茶屋として営業しており、島原で唯一の現役店である。

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ちょうど特別公開の時期とかぶったのだが、行程の都合で断念。
それにしても、江戸時代に再建され明治初期に今の姿になったとだけあって風格が凄い。

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ちなみにこの輪違屋は、あの高島屋系列の店・・なんてことはありえないが、それぐらいそっくりな「高」の字。
なんてことはなく、当主が高橋さんだったから、というなんとも拍子抜けしそうなお話。

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京町家を改装した旅館。
屋根の上のゴブリンみたいな物体は、京都でよく見られる魔除けの置物で鍾馗(しょうき)と言う。

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歩いたのが夏の盛りだっただけに、風通しのよさそうな京町家は見てるだけで涼しくなる。
こんな具合に京都らしい風情も随所に残されているのが今の島原。

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ちょっと途中をすっ飛ばして一気に廓の西側へ。と言ってもせいぜい端から端まで徒歩2~3分であるが。
島原の大門はもともと東側だけであったが、1732年(享保17年)に西門が作られている。
しかし1977年(昭和52年)にトラックが突っ込んで破壊してしまったとかで、現在では石碑だけが残っている。

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西門から廓の中を見る。
道はすぐ右手に直角に折れるので、ここからでは中の様子がよくわからない。

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西門のたもとにひっそり建つのが、前頁で紹介した島原住吉神社。

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西門をくぐり、右手に直角に折れた突き当たりの風景。
そして左手にある渋い塀の向こうが、島原スリートップを形成する角屋(元揚屋)である。

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1641年(寛永18年)竣工と、スリートップの中ではぶっちぎりで古い。
というか、耐用年数?何それおいしいの?っていうレベル。

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角屋前の路地が、また風情満天で素晴らしい。金沢の武家屋敷跡ほどじゃないけど、腰に刀提げた武士が歩いててもたぶん違和感ない。

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『遊郭をみる』に似たような風景があったので再度引用。
年代は書いてなかったけどいつ頃でしょうね。

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揚屋(つまり料亭)だった角屋は、現在は「角屋もてなしの文化美術館」として一般開放されている。
どっちかと言うと置屋だった輪違屋よりこっちを見たかったのだが、休館となる夏季、冬季の運悪く夏季の初日に当たってしまいこのときは悔しい思いをした。

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角屋では新選組もよく遊んだようで、局長の芹沢鴨が酔って暴れて刀傷を負った出来事が歴史に残っている。そんなしょうもない事件がなぜか記念碑になっているという妙。

範囲が狭いため、角屋や輪違屋を見学しなければものの10分~15分で散策できてしまう京都・島原。
遊郭と言っても、豪奢な妓楼建築とか赤線移行後のカフェー建築が残る場所でもなく、歴史散歩のようなノリで歩くのがちょうどいい感じの街であった。

日本初の公娼地であり、文化の発信地として長らく君臨し続けた島原。
正直地味な観光地ではあるが、寺社仏閣めぐりに飽きたら足を運んでみてはいかがだろう。

[訪問日:2014年7月19日]


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