消え行く遊里の残痕 京都「中書島」遊郭跡

京都府
この記事は約3分で読めます。

現在では酒蔵と船運の街というイメージの強い伏見・中書島。
幕末には戊辰戦争の火蓋が切られた、鳥羽・伏見の戦いが勃発したことでも知られる。何かと色んな歴史が詰まった地ではあるが、後半はその足跡も少し追ってみたい。

15

東柳町と西柳町を分かつ通りをさらに北へ進むとやがてこの蓬莱橋に出る。
江戸時代、船運が盛んだった頃は川幅はこんなもんではなく、橋も75mくらいあったという。

スポンサーリンク

寺田屋

16

橋を渡り切ると左前方に、全国に中書島の名を有名たらしめている当事者である寺田屋が現れる。
あの坂本龍馬襲撃事件の現場となった旅籠で、中には弾痕やお龍が入っていた風呂などが展示されている・・らしい。(時間の都合で入っていない)

17

が、Wikipediaを眺めてみると、どうも事情が違うようなのだ。
寺田屋は「鳥羽・伏見の戦い」で焼け落ちて、今ある建物は明治時代に再建されたと書かれている。

18

表札に坂本龍馬と書かれているのは客寄せパンダの類ではないかと訝ってみる。
まぁ、とは言え、同じ場所であるし明治に再建とあって当時の雰囲気を感じることはできるだろう。何より超有名な観光名所であることは全国的に知られている通りである。

20

そして敷地内には龍馬の銅像が建立されていて訪れ人の目を惹きつける。
実に凛々しい表情をしているが、実はこの写真にはちょっとした仕掛けというかオチがある。

19

実はこの銅像、ビックリするほど小さいのだ・・。
なぜ台座がこんなムダにでかいのか。
桂浜の龍馬像を見たことある方であれば、あまりのギャップに苦笑すら浮かぶレベルである。

21

寺田屋から東へ向かい、川に沿って南下したあたりに月桂冠の酒蔵がある。
ご存知中書島は月桂冠発祥の地であり、現在は大倉記念館と称する博物館になっている。
筆者は日本酒は好きだがローカルな地酒派なのでここはスルー。

22

濠川を航行する十石舟にかつての船運の名残を見て取れる。四季折々、酒蔵と水辺の風景が美しい遊覧船。実に風雅である。
所要時間55分で大人1000円と比較的安い。是非とも伏見観光のコースに組み込んでみたいものである。

23

先に寺田屋に行った関係で変な順番になったが、最後に東柳町、最も遊女屋が多かった地区を見て行きたい。
こちらは「まつば」という転業旅館。しかし旅館として営んでる雰囲気は微塵も感じられなかった。

24

『赤線跡を歩く』には、このまつばの左隣にギリシャの神殿みたいなカフェー建築が写っているがとうの昔に解体されたようである。
ひとまず結論から告げるとすれば、筆者が訪れた時点で“唯一の”遺構らしい遺構、がこの建物であった。

25

他には、こんな具合に妙に艶っぽいほっそい路地があったが遊里との関連性はよくわからなかった。
ちなみにこの路地、ぬけられます。

26

Google mapには「旅館木津乃家」とまだ往時の名が残っているその場所には、かなりの大店だったと思われる丸窓が美しい転業旅館があったのだが、無情にもついふた月ほど前に更地になってしまったようであった。見ての通りかなりの広さである。
この建物が最後の遺構らしい遺構で、公許の遊郭であった中書島の系譜はもうほぼ絶たれてしまったと言えようか。

27

来るのがもう二年ほど早ければ・・と悔いたところで後の祭り。
現実をしかとこの目に焼き付け、名酒の街に別れを告げた。

[訪問日:2014年7月19日]


コメント

  1. 匿名 より:

    三喜のラーメンは美味い!
    隠れた名店です

    • machii.narufumi より:

      情報提供ありがとうございます。
      本当の意味で隠れた名店ですね!

  2. ねこ より:

    通勤で中書島を通り過ぎますが、遊郭があったとは知りませんでした。
    京阪沿線は他にも現役の新地を有する『滝井』がありますが。

    今では『おけいはん』と京都らしい序著感を出してイメージUPにつなげてますが、
    良い場所を通らせて貰えなかった事が関係するのでしょうかね?

    • machii.narufumi より:

      理由はよくわかりませんが、京阪は元遊郭が非常に多い路線です。
      中書島、橋本、枚方、そして京都の五条楽園。もちろん現役の滝井も含めて、ですが。

      見所は多いので是非とも歩いてみてください。

タイトルとURLをコピーしました