こちら葛飾区『亀有楽天地』跡

東京都
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昭和20年に営業を開始した亀有楽天地は、買収した日立製作所の工員寮を転用したアパート式の赤線だったという。
当時は駅前以外は水田地帯だったというから今では想像もつかない。
そんな楽天地の名残を求めて、さらにくまなく路地を歩いて行く。

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辛うじて残る遺構たち

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戦災を免れた地だけあって、墨田区の京島ばりに古い建物も健在。
駅前からすぐ放射状に伸びる通りや、入り組んだ細い路地も同じ理由とすれば容易に説明がつく。

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サトちゃん・・・どうしてこうなったww
ゆうろーど沿いの薬局にて。一気に脱力。

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もうひとりいたΣ(`д`ノ)ノ
いやぁ、楽しい街です、亀有。

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若干カフェー調っぽさが感じられるビル。

ちなみに亀有の開業時は、業者が12、女性が50人だったそうで、その後昭和30年頃までは業者数40前後、女性が160~170名前後で推移し、33年(1958年)の売防法完全施行とともに赤線の灯は消えた。

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アーチ状のバルコニーが残るお宅。現在の亀有では数少ない遺構。
戦災を免れ、カフェー街が移ってきたことで亀有は雨後のたけのこのように成長・発展し、昭和20~30年代には映画館、ダンスホール、飲食店などが次々とオープンし未曾有の活況を呈していたという。

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この自転車屋さんのバルコニーもなかなか雰囲気がある。
前頁で掲載したフルーツショップのすぐ近くにて。

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さらに舐めるように路地を闊歩していくと、明らかに意匠が赤線時代のそれとわかる建物があった。
なんかもうテトリスにしか見えないw

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ひとつ書き忘れたことがあった。

戦後は、立石鳩の街と同じように亀有もRAAの指定地となり、オフリミッツになるまでは進駐軍を相手に商売をしていた。
その後、街の発展とともに業者数、接客婦ともに急激に増えることになる。これは先述のとおり。

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この不動産も怪しさ満点。
というか看板がなかったら、きっと逆立ちしても不動産には見えないよな(´・ω・`)

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そしてこれが亀有の中でもっとも分かりやすかった遺構。
うん。カフェーだね。

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サイドから。
帰宅用かな?と思える裏口があった。
でも今じゃもう出入り不能な件。

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この地に色街があったことを如実に現すのが、今なお二軒残る特殊なお風呂屋さん。
ちなみにもう一軒は、信頼と実績と安定のあの角海老グループ。

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そのすぐ横にあった個人宅も、明らかに遺構でしたという佇まい。

というわけで、南口一帯、かつての亀有楽天地界隈を丹念に歩いてきた。あんまり期待してなかったんだけど、意外にも残ってるもんだなぁというのが率直な感想。

末期的な遺構は皆無だったのでまだしばらくは大丈夫だろうと思うけど、再開発の魔の手はゆるやかに迫っているようだったので、興味のある方はお早めにどうぞ。

[訪問日:2014年10月11日]


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