佐原・町並み保存地区と裏通りの色街跡

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千葉県の佐原(香取市)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている町並み保存地区がある。江戸~昭和初期の商家が今なお残り、「小江戸」と呼ばれる歴史的景観。
ずっと前から行きたかったその場所に、ようやく足を運ぶことができたのは昨年の11月のことであった。

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すぐ北側に利根川が流れる佐原は江戸時代以降水運で栄えた街で、最も栄えていた江戸時代後期~昭和初期の歴史的建造物が小野川と香取街道沿いに今でも元気に立ち並んでいる。

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香取街道沿い

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まずは香取街道から。昭和初期の看板建築、「蜷川家具店」さん。やーこれはすごい。

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右隣にあるのがこちらの文明堂。見た感じ、「カステラ一番電話は二番」のほうとは無関係そう・・

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左側が町並み交流館。中でトイレ借りたけど、観光案内所的なところだった気がする。
右に見える洋風建築は「三菱館」といい、大正3年(1914年)に建てられた旧三菱銀行。

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ところで、佐原の住所はイロハ地名を採用しているため、「香取市佐原イ」とか「香取市佐原ホ」のようになる。
しかしこれだと、「どちらにお住まいですか?」「イです」「私はロなんです」のように日本軍の暗号みたいな会話が交わされることになるんじゃないのか。
金沢や京都なんかも似たような感じだし、独特な住所を持つ都市って意外とあるんだよな。

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そう言えば場所の説明をしていなかった。
町並み保存地区は、佐原駅から見るとちょうど南東の方角、距離にして1kmくらい。近いので歩くにはちょっと物足りないかなぁ。
ちなみにこのときは友人の車だったのでまったくもって歩いてないんですけどね。

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三菱館のちょい先に流れるこの川が、かつて栄華を誇った小野川でやんす。
香取街道とクロスするように重伝建地区を南北に貫いていて、両側の柳の木がなかなか風情のある景観を作っとります。

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伊能忠敬旧宅と記念館

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さて、実は佐原はあの伊能忠敬ゆかりの地。重伝建の地区内に旧居があって、無料で内部を見学できる。

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忠敬の出身は九十九里のほうで、佐原には商家に婿養子に入った、というわけ。
17歳のときで、伊能家の家業は酒造業だったそうな。

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店舗・正門・炊事場・書院・土蔵が現在では残っており、書院は忠敬自身が設計したと伝えられている。
何気に築200年以上経ってるらしいけど、きちんと保存されてるせいかそこまで古い建物である感じはまったくもってしない。

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「この一歩から」

50歳を過ぎてから日本全土を徒歩で測量し、地図を作り上げるという偉業。そんな前人未到の魂の大仕事だって、始まりには一歩があり、その積み重ねでしかないんだよ、と。
※適当に脳内補完してます

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旧宅前に架かる樋橋を渡った先にあるこのコンクリート打ち放しの建物が「伊能忠敬記念館」。
忠敬の人生が年代ごとに展示されているので、興味ある方はどうぞ。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    佐原は意外と見所多いです。
    駅付近の商店も昭和していますし、
    また、遊びに来てください。

    • machii.narufumi より:

      そうですか。二回とも電車じゃなかったので駅付近は見れなかったのですよ。
      是非また再訪しますね!

  2. 千葉市民 より:

    最後の路地裏の付近は、嘗て東海酒造があった所の裏ですね。
    佐原の厳密な地名は『田中か、新上川岸ね』
    毎年、夏、秋は佐原は大きな祭りが有りまして、撮影された所の裏の駐車場で車を止めて
    祭り見物してますよ。

    小料理みどりのそばの建物は、数年前まで住んでいた様な・・・高齢な方でしたが。

    古い世代の人の話だと、佐原、木更津、銚子(だった筈)
    金があったら散在する恐ろしい場所だったとか・・・・

    • machii.narufumi より:

      地元の方の貴重なコメント感謝します。
      佐原、木更津、銚子。すべて遊里があったところですね。納得です。
      木更津はずいぶん前に歩いたので、近々きちんと歩こうと考えてます。銚子は訪問済なので、将来的にアップされる予定です。いつになるかわかりませんが・・

  3. 佐原港を知ってる世代です。 より:

    うちの曽祖父は遊びが過ぎちゃった人。3回結婚して、私の知ってるひいおばあちゃんは元々真面目な仕事じゃない系の人です。
    色々と面白エピソードがあった人で、息子の大伯父が戦時中に出征する際には、ゆかりの女性たちがズラリと集結して、「坊ちゃん万歳!」とやったそうです。

    佐原は江戸への水運で栄えた街なので、江戸仕込みの「遊び」とか、「余裕」みたいな文化がありました(さすがに江戸と比べると品とか粋の部分では比較は出来ませんが)。戦後徐々にそういう文化は廃れましたが、昭和50年頃、つまり佐原が現役の街としての最後の隆盛期くらいまでは残っていたようで、私の七五三のお祝いにも芸者が同席していたとのことです。

    重伝建地区とのギャップ、と書かれてましたが、まさに現役の街からの凋落と、過去への回帰を売り物にする現状を象徴していますね。

    • machii.narufumi より:

      栄えていた時代の佐原の様子がありありと浮かんでくるようなものすごいエピソードですね。
      街の繁栄に「遊び」はつきもので表裏一体と言いますか。そういう場所をたくさん見てきましたが、佐原のように保存地区になった場所はその裏で凋落した遊里が見られるようなところもまた多いです。

      昭和50年頃までまだ現役だったというのは驚きです。
      貴重な体験談をありがとうございました。

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