十字路のある街 沖縄・「コザ吉原社交街」を歩く

沖縄県
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「コザ」という変わった名称は、実は自治体名である。
「コザ市」は日本で唯一のカタカナ名の市として、戦後から、1974年に美里村と合併して沖縄市になるまでの間実在していた。
つまり、「コザ」も「吉原」も今ではもう現存していない。それが通称になっているのは少し不思議な感じさえする。

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美里一丁目というとそれなりに広いが、社交街の中心地だったと思われる場所は地図を見ると一目瞭然な区割りと建物の並び方をしている。

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そこから見て南側一帯にスナックやバーが密集している。全盛期で220軒ほどあったというその手の店は、数を減らしたとは言えまだかなりの数が残っている。
しかしながら、そのどれもが廃墟かそれに近い様相を呈している。

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昼間は静かな街

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横浜黄金町でもそうであったように、基本的に人がいないのである。
商売気がまるでないのは、決して平日の昼下がりだからという理由だけではないと思う。

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壊滅前の吉原は24時間営業だったというのだから驚かされる。まさに性のコンビニエンスストア。
摘発後は、夜間に数軒がほそぼそと営業するに過ぎない街になってしまったようであるが、果たして今はという話になると、やはり昼間だけ見て判断を下すのは材料不足だと言わざるを得ない。

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残念ながら行程の都合上夜の吉原を歩くことは叶わなかったが、ネットの情報を信頼するのであれば、現在でも吉原は「かすかに生きている」という。

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しかしながら、風前の灯となった風俗街に「品質」という最も重要な要素が欠落することは全国どこに行っても同じ。
今ではわざわざ遠方から足を運ぶような街ではないそうである。

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そもそも、那覇から30km近く離れている吉原に地元民以外でわざわざ遊びに行くのは観光客ぐらいだったのではなかろうかと思う。
那覇には辻というれっきとした歓楽街があるわけだし。

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沖縄市の西方にはどでかい嘉手納基地が控えるが、かつては米軍基地の門前町として発展に発展を重ねコザは文字通り県内随一の繁華街だったそうである。
しかし不運は重なるもので、美浜アメリカンビレッジというリア充スポットの台頭と吉原の壊滅で、今ではお隣の北谷町にごっそり集客を奪われてしまった格好になっている。

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住居兼店舗なのか、生活感のある店も中にはあった。
健全な飲食店として営業しているのだと思う。

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じゃあもう沖縄市には見所はないのか、という話になれば、そんなことはない。
残念なことにこれまた時間の都合で行けなかったのであるが、沖縄最後の銭湯が沖縄市にはあるのだ。

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沖縄では銭湯のことを「ゆーふるやー」と言うが、ピーク時には300軒以上あったこのゆーふるやーが、昨年の5月についに県内でただ一軒、沖縄市にある『中乃湯』さんだけになってしまったのである。
というわけで、銭湯好きの方は是非足を運んでみてください。

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社交業組合の建物が残されていたが、どう見ても廃屋にしか見えなかった。

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そろそろひとしきり路地を歩き尽くしたかな、と思ったまさにそのときであった。

人の気配に気がついたのか、戸が開けられていた店舗のひとつから、女性がちらっとこちらを伺っている姿を視線が捉えた。
不意をつかれ、瞬間、ドキッとして立ち止まってしまった。その間わずか数秒。平静を装いふたたび歩き出す。

・・・やはり吉原はまだ生きていたのだ。

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その女性と言葉を交わしたわけではないが、やはりそう結論づけたほうがはるばる沖縄まで来たことに意味を与えることができる気がするし、なんとなく話の展開的に収まりが良い。

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ふたたび国道の、「越来」交差点まで戻ってきた。
無事沖縄での緒戦を終え、この日のまち歩きはこれで終わり。

この後、勝連城跡、座喜味城跡、今帰仁城跡と世界遺産をはしごし、しっかりソーキそばも頂いて沖縄を満喫。
残りは三日。旅はまだ始まったばかりである。

[訪問日:2014年12月22日]


コメント

  1. maru より:

    いや~!沖縄とは。
    いろいろ奥深い感じがします。

  2. 匿名 より:

    2006~7年ごろにコザ十字路に訪れて、女の子がめちゃくちゃかわいい子ばかりで2連チャンした覚えがあります。残念ですわ、ほんと。

    • machii.narufumi より:

      その頃は今より全然賑わってたんでしょうね。完全に死んだわけではないらしいので、今でも一応遊べるみたいですよ。たぶんクオリティは昔ほど高くはないんでしょうけど。

  3. フジイ より:

     コザの吉原の雰囲気が大好きで、毎年沖縄出張のたびに通っている者です。
     夜の街灯があまりない住宅街を無言の男たちが十数人、薄らと明かりが漏れるドアの先をのぞき込んでは吸い込まれていく感じはたまりません。
     一時は取り締まりにとって風前の灯火の感がありましたが、今年2月に訪れたときはけっこうな数の店が営業を再開しているようでした。と、言っても2010年ごろに比べれば6割ぐらいでしょうか。普通は一度摘発されれば、こういう街はすぐに消え去ってしまう印象なのですが、復活の兆しを見せるとは驚きの限り。夜の女性の受け入れ先が沖縄にはないのかもしれませんが。
     ほかのルポも非常に興味深く読ませていただいてます。何で遊郭の世界にここまで魅せられるのか、自分でもよく分かりません。

    • machii.narufumi より:

      こんにちは。有益な情報ありがとうございます。
      私が行ったとき(2014年末)はもう終わった街という噂を聞いていて歩いたときもそうだとばかり思っていたのですが、あの頃普通に営業していたのですね。
      またいつか、今度は夜に行かなければいけなくなりました(笑)
      ルポなんて大層なものではありません。ただの旅好きの駄文ですが、少しでもお役に立てていれば幸いです。是非また遊びにいらしてください。

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