ローカル線と漁港とぬれ煎餅の街「銚子」の赤線跡を歩く

千葉県
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銚子の田中町にあったという赤線跡を訪ねてやってきたのは、梅雨もたけなわと言った6月のどんよりした日だった。

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右奥の「たぬきや」は『赤線跡を歩く』にも載ってますね。当時は、その向かいに廃屋になったキャバレーがあったようであるが、現在はグループホームとなっている。
そしてその脇道を入って行くと・・

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そこは現役の盛り場だった

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にわかに景色が一変し、今度は「生きた盛り場」が始まる。住所で言うと田中町ではなく後飯町にあたる。

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この先同じような写真が続くのでコメントは割愛しますが、とにかくスナックが多かった。
どうやらこのあたりが銚子随一の盛り場を形成しているのであろう。
しかし銚子駅からだと地味に遠い。徒歩20分くらいかな。

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ここの赤線は、地方から流れてきた女性が多く、荒くれ者の海の男たちを相手にしていたからか、気性が荒く店先での交渉も方言や符牒が飛び交って過激だったそうである。(『赤線跡を歩く』より)

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また、パンパンたちも相当強引で力ずくの客引きをしていた、とある。
戦争で何もかもを失い、食べるために必死だった時代とは言え・・なかなか壮絶なエピソードだと言える。

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そんな活気のあった街も、今ではカラフルな盛り場となっていて昼間は静寂そのものである。歩いている人さえいない。

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もうひとつ、昭和30年の『全国女性街ガイド』にも当時の様子が書いてあるんですが、これがまたなかなか面白いので引用させていただきましょう。

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荒っぽい特飲である。
「にしや、あんでいかねえだよ。てつぱつな品物のくせしてよ。もたもたして、いかねえと、げんつ、かつくらすど」・・これを、翻訳してみると「あなたは、なぜ早くいかないのです。そんな偉大な品物のおくせに、もそもそと遠慮勝になさないで。早くいっていただかないと、拳骨を突き刺しますわヨ」・・・である。
田中町に42軒、174名。

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ムードもへったくれもないがな・・
全然楽しくなさそうだ・・w

キャラ的には「赤線玉の井ぬけられます」の直子に似てるなぁ・・とこれが分かった方はなかなかの通。

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ところでこれは何でしょうね。若干カフェー調が漂うファサード、無駄に長い奥行、コンクリートに覆われた無骨な姿態。
赤線時代の遺構なのかさえもよくわからない。

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しかしまぁスナックの多いこと多いこと。
どう見ても過剰供給な件。だってここは銚子。東京ではないのだ。

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ところでここのスナック街、軽く調べてみるとやはり多国籍なご様子で。睨んだ通りでした。

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居酒っく?
スナックと読ませたいんだろうか・・むちゃくちゃだなぁ。
どう見ても昭和のボロアパート。とてもスナックには見えない。
「○○荘」のほうがよっぽどしっくりくるよ。

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銚子って遠いわりに実は何度か来たことがあって、数えたら今回が4回目だった。
でも、実はまだ銚電に乗ったことがない(撮り鉄はしたけど)のでいつか乗りに来たい。
っていうか普通そっちが先だろう。
スナック街なんて歩いてる場合じゃないよな。

[訪問日:2015年6月28日]

〒288-0054 千葉県銚子市馬場町1 飯沼観音


コメント

  1. maru より:

    そうそう、スナックが多いんですよね。

    あと、川むこうの!?神栖もいまじゃ見る影ありません。
    私が行った当時でつぶれたソープが数件と現役お店が一件ありましたが
    現在は、、、

    • machii.narufumi より:

      神栖・・サウナですよね。行く前に軽くリサーチしましたが、すでに死に体となっているとのことで華麗にスルーしました。。
      まだ現役だとしても危険な香りがぷんぷんしますね(笑)

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