鰺ヶ沢・新地町を歩く ~漁師町の遊里~

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2015年夏。青森遠征二日目。
期間中は要所要所で悪天候の憂き目に遭い幾度となく空を呪ったんですが、その中で唯一ピーカンだったのがこの日の午前中。(あと最終日)

五所川原市内を発ち、五能線に沿って西へ。まずやって来たのは津軽半島の付け根にある漁業の町、鰺ヶ沢(あじがさわ)である。

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新地町

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その昔、新地町なるところに遊郭があったというのではるばる見に来たのである。
この地名は現在でも残っている。鰺ケ沢駅から北西へ3kmほどのところにある。

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古くは、海士町(漁師町)の一部。後町や青楼ともいわれ、元禄16年(1703)の絵図に新地町戸数31とある。
鰺ヶ沢の盆踊り唄「鰺ヶ沢くどき」の中に、「奥州津軽の鰺ヶ沢湊、新地開いた狐のくどき」と唄われ、遊女町として栄えた。

標柱には、ご丁寧にここが遊女町だったことが記されていた。上記のとおり藩政時代からの遊郭で、指定されたのはここが一番早かったそうである。どうやら青森一古い遊郭ということになるらしい。

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これは、と思わせるどっしりした建物。なかなか雰囲気がある。
新地町は、海沿いの大間越街道と並走するいわゆる裏路地に位置する。その名が示す通り、後から作られた新開地なのだろう。

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側面から見ると元妓楼ですが何か、って言われても頷けるレベル。特徴に乏しいので断言はしませんが。

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もう一軒、今どきの家に挟まれていぶし銀の輝きを放つ渋い建物が残っていた。まさに渾然一体。いや、玉石混交かな。

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新地町の先(西側)は「柳町」と言ったらしい。しかし実際は新地の一部であり、のちに何らかの理由で通称としてそう呼ばれるようになったことが書かれていた。

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例のごとく『全国遊廓案内』から鰺ヶ沢の記述を拾ってみる。地味に長いので要約すると

鰺ヶ沢は藩政時代には唯一の商港。ゆえに遊郭も300年の古い歴史を持つ。
貸座敷は6軒あって娼妓は35人。陰店を張っており、廻し制を採用。娼妓は青森県、秋田県の女が多い。

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今来てもただの僻地としか思えないけど、昔はさぞかし栄えていたのだろう、ということがよくわかる。
唯一の商港ってことは、今の青森や八戸ぐらいの規模感だったんだろうか。

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『赤線跡を歩く』に載っている路地は健在だった。いや、健在なのは路地じゃなくてつまり左に見えるこの建物。

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防火用の水桶、おぉこれもまだあった。上に乗ってるのがプランターからコンクリートブロックに変わってるけど。

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その健在な建物を正面から見るとこうなる。各種情報源を参照すると、元は宿屋だったようだ。
一見して妓楼に見えなくもないけど、街道筋だしまぁ宿屋でしょう。異論なし。

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しかしこうしてよーく見ると惚れ惚れするほど素晴らしい。建築のことはよくわからないけど、専門家が見ても価値があるんじゃないかと思えるような造りをしている。

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街道筋にはもう一軒古い木造家屋が残っていた。こっちも負けず劣らずすごい。本気で100年くらい経ってそう。

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朝早かったので、名物の「ヒラメのヅケ丼」をいただく間もなくおいとますることになってしまったのが心残りではあるが、鰺ヶ沢・・のんびりとしたいいとこであった。いつか機会があればまた来たい。

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おまけ。念願の「黄金崎不老ふ死温泉」はご覧の通りの晴天で最高に気持ちいい、まさに至福のひと時でした。

おそらく、青森最果てのここをプランから外せば、鰺ヶ沢に行くこともなければお盆休みを青森だけですべてつぎ込むこともなかった、と思う。

けど、来てよかった。ここはいいですよ。宿泊施設もあるし。おすすめ。

※温泉の効能に「不老不死」とは書いてませんのでドラゴンボールを読みすぎな人はお気をつけ下さい

[訪問日:2015年8月13日]


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コメント

  1. maru より:

    海が綺麗ですね。
    それと、その露天風呂はゆうめいですね。

    • mast-mo より:

      不老ふ死温泉ご存知でしたか!有名なんですね~ホントいいとこでしたよ。