人形町の町並み ~元吉原と芳町の花街~

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以前吉原遊郭のことを書いたときに、「吉原は元々今の人形町あたりにあった」という話をした。
その元吉原界隈を歩いてきたので、そのあたりの話もふまえ、現在の町並みを紹介していければ、と思う。

まずは場所から。元吉原は、地図上この辺りになる。人形町駅の東側に当たる。
中央を南北に貫くのが大門通り。北側が大門。北枕を避けるために区画が斜めってるのはこの頃からあったのがわかる。

当時は葦が茂る湿地帯で「葭原(よしはら)」と呼ばれていたが、縁起のいい「吉」を使おう!と言うノリで今日の「吉原」に改められた。

出入りは大門のみで四方は掘割であったのだが、東側の水路は前回書いた浜町川だったようだ。

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人形町なんてまともに歩いたことなかったので、正直このからくり時計と東野圭吾の新参者くらいしかイメージがなかったわけである。
まさか吉原遊郭がここにあったとはね・・

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まずは遊郭にまつわるものから。南端の路地に面する末廣神社。
元吉原の総鎮守として信仰されていたという古い歴史を持つ。

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ちゃんと吉原のことも書いてある。
案内板にネタバレされちゃったけど、元吉原は明暦の大火で全焼しこの地ではわずか40年しか存続できなかった。このときの移転先が現在の吉原(台東区千束)である。

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もうひとつネタバレすると、玉垣に赤い文字で「葭町芸妓芸妓屋組合」と書かれている。
実は遊郭が移転したあと、この地は花街として繁栄したという歴史がある。これについては後ほど。

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ここに吉原遊郭があったことを確かに示す証拠を見つけた。

さすがに江戸時代の話なので関連を示すものはこれぐらい。(隅々まで歩いてないのでもしかしたらまだ何かあったかもしれない)
逆に、それ以降ずっと続く花街時代の名残はまだ随所に残されていた。

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現在の町並み

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玉垣にもあったとおり、当時は「芳町(葭町)」であった。
元吉原の敷地に加え、東は明治座のあたり、南は水天宮のあたりと花街はかなり広い範囲であったらしい。

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各地で衰退、消滅する花街が多い中、旧芳町は現在でも健在であるが詳しいことはこちらに譲る。

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人形町で割と有名な遺構なのがこちらの歯医者さん。元料亭のような佇まい。
これはすごい。

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隣もまたしかり。
創業大正12年の喜寿司さん。元「料理屋」だったんでしょう。
いや、元はおかしいか・・

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花街の遺構もさることながら、実は人形町界隈は東京大空襲で奇跡的に焼け残ったエリアで、都心とは思えない看板建築や銅板建築が今なおちょこちょこ残っていたりする。
むしろこっちのほうが歴史的価値が高いと思う。

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「神谷商店」の文字が残るこの建物も、おそらく戦前系。

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銅板が見られる三階建ての元料亭はリノベーションされ、(ネット上でよく見る)以前の姿と比べずいぶん様変わりしていた。

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もう一軒改装中の建物を見かけた。手を加えて再利用するんだろうか。
これだけのものを壊すのはさすがに惜しい。

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とりとめもなく歩いてたら雨が降ってきてモチベーションが下がってしまった。
雨のまち歩きは好きじゃない。カメラがなければそんなこともないのかもしれないけど。

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これもリノベ系。

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お隣のレストランも雰囲気がある。

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二階の銅板を残しつつ一階に手を入れた感じの(たぶん)個人宅。

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こちらも花街時代の名残と見てよろしいかと。
最盛期だった昭和30年には置屋187軒、芸妓307人、料亭87軒というおびただしい数だったことを考えると現状はずいぶん寂しい感じがする。
ちなみに現在芸妓の出先は、料亭「濱田家」ただ1軒のみである。

与太話となるが、晩年に名古屋の二葉御殿で暮らした日本の女優第一号、川上貞奴は元々は芳町芸者である。

さらに与太話

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人形町は文豪・谷崎潤一郎生誕の地ということで、生家にある碑を見てきた。

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この地にあった、祖父が経営していた谷崎活版印刷所で生まれたそうである。
すぐそばにある親子丼が有名な「玉ひで」は、谷崎が幼少の頃からあったと著書「幼少時代」にある。

関連ランキング:鳥料理 | 人形町駅水天宮前駅浜町駅

[訪問日:2015年8月30日]



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