謎多き遊里・豊川「圓福荘」

愛知県
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予告通り、豊川の色街散策編をお届けします。
大きくエリアがふたつに分かれるので、まずは市街地の外れにある「圓福荘」から。

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実はなつかし青春商店街を歩いてたときに、途中フェードアウトして先にこっちを見に来たというオチ。分かりづらいところにあるのでまずは場所から。

駅から徒歩10分くらいだろうか。完全に住宅街の一角。昔ここには『圓福荘』という遊郭があったという。区画だけ見てもあまりピンと来ない。

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いつも参考にしている資料類には記載がなく、今回も先人たちの足跡にあやかっただけという体。色んな方が歩いてるので比較的有名なんです、ここ。

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住宅街に埋没する2軒の遺構

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で、現状どうなってるかっていうのがうちのブログに課せられたミッションなわけで。
近年、往時の遺構が2軒残されているが結果はいずれも健在であった。

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こちらが一軒目。
昔は「圓福荘」の文字が刻まれたいかつい石柱が建っていたそうであるが撤去されていた。

ちなみに読み方は「えんぷくそう」だと思われる。豊川稲荷の正式名称が『円福山妙厳寺』なのでそこから来てるのではないかと。

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「○○荘」というのも、たぶん東海地方でよく見られる「○○園」と同じようなものなのではないかと思う。なお、翌日訪れることになる豊橋にも「有楽荘」という遊里がある。

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そしてもう一軒。結構傷みが激しいが、同じく個人宅として余生を送っていた。
毒々しいほどの弁柄色がどこまでも艶めかしい。

※こちらの建物は2019年頃に解体されて現存しません

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玄関脇には烏賊のような形をした窓があった。同時に料理店の鑑札も残っていた。

以前は「旅館幸楽」と書かれた看板が掲げられていたらしいがそちらはとうになくなっていた。

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成り立ち、歴史、終焉、一切情報がない場所を歩くというのもそうそうない。しかしながら、住宅街に突如現れる遺構の強烈さで逆に印象に強く残る場所であった。

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裏側。Googleマップで真上から見るとあとから増築されたように見える。おそらくそれは的はずれな話でもあるまい。

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一本の通りに残る、たった二軒の遺構。これらがなくなれば、この地に遊郭があったなんて誰も信じないような町並みになってしまうであろう。

それぐらい安穏とした住宅街であった。なお、散策する際は風のように行動されることをお願いしたい。

[訪問日:2016年1月1日]

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