赤線讃歌 ~最後の街「立川」を訪ねて~

スポンサーリンク
広告728×90

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

赤線散策のきっかけになった、みんなのバイブル『赤線跡を歩く(木村聡著)』。
この本片手に色んな街を歩いてきたけど、この日でようやく都内がひとめぐり。

足掛け2年。最後になったのは遠いせいですっかり忘れていた「立川」であった。

01

中央線の特快で新宿から25分。自宅からだと軽く1時間オーバー。“それだけ”で行くにはあまりにも遠く、この日、吉祥寺とセットで行くことを選んだ。

02

立川には、駅の南東側にふたつのカフェー街、「錦町楽天地」「羽衣新天地」があったという。

色々な先輩方がもう何年も前から紹介しているし、当時から名残はそんなにないというのもわかっていたのでなかなか足が向かなかったんだけど、何となく心残りな感じがしたので一応行っとこうかなと。

03

まずは駅から近い楽天地から。場所は錦町1丁目。近いと言っても10分くらいは歩くけど。
このY字路を左へ進むと目的地である。

04

どうやらここで間違いないらしい。

錦町は、元々は昭和5年にできた三業地だったそうで、すでに衰退していた戦時中の昭和19(1944)年、あの洲崎の業者が入ってきて「楽天地」という赤線になった。
48軒の娼家に、185名の女がいたという。

05

現在の楽天地跡。辛うじて名残をとどめるのがこの飲み屋群。他はもうマンションや民家ばかりである。

06

戦後は鳩の街立石と同様、進駐軍向けのRAA施設となった錦町楽天地。他のシマと大きく違っていたのが、立川には米軍基地がありいわゆる進駐軍の「お膝元」だった点である。

07

なお、その立川基地の跡地は、現在は昭和記念公園になっている。東側に陸自の駐屯地があるのは当時の名残と言えよう。

昭和記念公園には以前クリスマスイルミネーションを見に来たことがあるけど、なかなか見ごたえがあるので普通におすすめ。

08

『赤線跡を歩く』と同じ構図で一枚。クリーニングの看板があるマンション以外は総じて面影はなくなってしまっていた。

09

ひとつ、気になる古い建物があったんだけど、目の前に工事車両が停まってたせいで近寄れなかったの図。

羽衣町新天地へ

10

楽天地からもう10分くらい。その足で羽衣町新天地へ。錦町が元遊郭であったのに対し、羽衣町は新興の特飲街であったらしい。

11

『赤線跡を歩く』とほぼ同じ構図で撮影。左右のマンションは変わってなさそうに見える。
この幅員の広さを見ると、ここがメインストリートだったのは間違いなさそうである。

12

地図を見ても縦が4本、横が3本の整然とした区画であることがわかる。24軒96名という規模だったそうである。(『花街・色街・艶な街 色街編より』)

13

数年前まで遺構ではないかとまことしやかに言われていた平屋建ては駐車場に変わっていた。

14

東側の路地で、塀の向こうに怪しげな平屋を見つけた。民家というか工場に近い感じだったので、たぶん探してたものとは違う気がする。

15

羽衣商店街。ここも『赤跡』に載ってますね。今ではもうただの住宅街。

16

マンションでも建つのか、だたっ広い土地が更地にされていた。往時はここにも遺構があったのであろう。

結局、もはや名残は皆無であった。分かってはいたけど、やはり虚しさは隠せなかった。

(2ページ目へ続く)

スポンサーリンク
広告336×280
広告336×280

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする