町並み保存の聖地 木曽路・妻籠宿へ行こう

長野県
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「木曽路」「南下」と来れば勘のいい方はすでにお気づきであると思われる木曽路シリーズ第三弾は「妻籠宿」。
奈良井宿から60km。いやー地味に遠かった。

たぶん奈良井宿以上に有名だと思われる妻籠宿は中山道42番目の宿場。昭和51年、重要伝統的建造物群保存地区の栄えある第一号(7ヶ所同時登録)に選ばれた町並み界の重鎮である。

あ、ちなみに読み方は「つまごしゅく」です。「つまごめ」じゃないですよ。お間違いなく。

ここは奈良井と違って駐車場が有料。単車もしっかり200円取られました(普通車500円)。さすがにパイオニアは格が違う。
ところで、ここは10時~16時は歩行者専用道路。ちょっと流してどんなところか見てこうか、みたいなことはできないのでご注意を。

島崎藤村の長編小説『夜明け前』は、こんなセンセーショナルな書き出しで始まる。

「木曽路はすべて山の中である」

山間を縫うように続く街道の中で、伊那街道との分岐点にあたる妻籠宿はやや開けた場所にあり、要衝として大いに賑わったという。そう、明治になるまでは。

明治以降、鉄道や国道の開通で宿場としての地位が根幹から揺らいだ妻籠宿。ここまではよくある話である。問題はそのあと。

時は高度経済成長の頃、この江戸時代の宿場風景を残そうという時代に逆行した前例なき保存運動が起こり、そこから住民たちの長い取り組みが始まる。

17世紀半ばまで関所が置かれていた口留番所跡。

その前には立派な高札場が残る。

高札場というのは、平たく言えば江戸時代の掲示板。

この高札場からの眺めは妻籠でもベスト3に入る撮影スポット。左手にあるのは水車小屋。
ここで欧米人のソロツーリストにシャッター頼まれたのを今でもよく憶えている。彼は日本を満喫できたのだろうか。

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売らない・貸さない・壊さない

この憲章が妻籠住民のいわゆる共通理念。皆で議論を重ね、町や県と協働しながら一大事業として保存運動を推し進めていき、結果としてそれが重伝建第一号という栄誉につながった。ざっくり言えばそんな感じ。

言わば町並み保存の原点であり発祥であり聖地である。それが妻籠宿。以後お見知りおきを。

歴史に興味がなくても大丈夫。あまりに非日常的すぎる宿場風情が、観光モードの人もきっと満足させてくれるはずである。何より、安定の木曽路名物五平餅もある。何も心配する必要はない。

建物についても少し言及しておこうと思う。あえて特徴を挙げるとすれば「竪繁(たてしげ)」と呼ばれる細かい格子と出桁造りということになる。ただ、奈良井のような統一感はない。(そもそもあそこまで家々が密集していない)

時間が15時頃と遅かったのがよかったのか、ツアーの団体客は皆無でのんびり歩くことができた。たまたま平日に来れてラッキーだったと思う。

妻籠宿は全長約800m。奈良井ほどじゃないけど端から端まで歩くと結構長い。町名は北(江戸側)から恋野、下町、中町、上町、寺下、尾又。やっぱりここも京都側(上方)が上町ですね。

脇本陣奥谷。島崎藤村の初恋の人、「ゆふさん」が嫁いだのがこの家なんだとか。

一旦区切りましょうか。前編終了ということで。

(2ページ目へ続く)

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