四日市の赤線跡・諏訪公園界隈

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三重県一人口が多い四日市で、最も栄えているのが近鉄四日市駅の周辺。言い換えると、県下最大の繁華街ということになる。

駅の東側にある諏訪公園界隈は、戦後赤線地帯だったところである。今でもその流れを汲んで、こちらは県下最大の歓楽街として君臨している。今日はそこにお邪魔して来ようと思う。

いたって健全そのものな1番街商店街から諏訪公園のほうへ折れる。全蓋式アーケードが続く光景は確かに商業圏の中心であることを実感させてくれる。

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赤線の名残を探せど…

だが、おもむろに西へ折れると様子ががらりと変わり、盛り場然とした雰囲気が支配する街並みへと変化を遂げる。

ちょうど諏訪公園の南西のブロックにあたるこのあたりが、「港楽園」と呼ばれる赤線地帯だったところだ。

四日市は昭和20年の6~7月頃に大規模な空襲を受けているので、おそらく戦後は失業者や未亡人で溢れていたことだろうと思う。工業都市で労働者の街という土地柄も手伝ってか、市内には赤線が三ヶ所もあったそうである。

そのうちのひとつがこのあたり。「港楽」の文字が電柱に残る。

だが、往時の名残をとどめる建物には残念ながら出会えなかった。

別に四日市だからどうということもなく、どこの街でも見られるような普通の盛り場風景。若干、年齢層が高めかなぁという程度の印象だった。

なお、四日市の赤線については日頃参考にしている『全国女性街ガイド』にも記載がないので詳細はよくわからない。先日書いた桑名の項にさらっと触れてあるだけというものすごく雑な扱いだった。

今でも現役のピンク映画館「日活ロッポニカ」。看板のくたびれ具合を見ると色んな意味でもう限界なんじゃないかと思う。

少し歩き、公園の西側あたりまで来た。このあたりが「春告園」と呼ばれる赤線地帯だったところ。

そう、この至近距離に別の赤線があったというのにまず驚いた。わざわざ分けんでも( ́・ω・ )

脇道の先は飲み屋が軒を連ねる。

隣の路地には無料案内所。

公園の前の通り。こちらもまた色街の末裔であるのがひと目でわかる光景。東海地方特有のキャンパブがあったりと、港楽園と比較すると年齢層が低めな印象。

このあたりの住所は「西新地」。東もあったのだろうか。
もしかしたら第三の赤線がそれだったのかも。名前を「港華園」と言ったこと以外はよくわからないけど。

西新地にはお風呂屋さんが一軒だけあった。市内の他の場所に一軒、そして津に一軒。三重県は県内でも三ヶ所しかないらしい。

往時は洲崎パラダイスのように「春告園」と書かれたネオンサインのアーチがあったそうで。たぶんこれがその跡じゃないかな。

公園の北側には「大正館」という老舗料亭、兼旅館。公式サイトによれば創業百余年だとか。

昔は芸者を呼んで宴会とかしてたんだろうな、って雰囲気。あ、いや、今でも呼べるみたいでした。まぁそりゃそうか。

大正館の格式と目の前の路地とのギャップがまたすごい。というか老舗料亭が盛り場に包囲されてると言う表現が正しい気がする。

芝生や噴水広場があり、諏訪公園は完全に市民憩いの場という雰囲気を醸していた。

四日市のママさんたちは、ピンクゾーンに囲まれた公園で子どもを遊ばせることに抵抗はないのだろうか。
だとしたらずいぶん大らかな市民性だなぁ…と感心しつつ、コンビナートの街を後にした。

[訪問日:2016年6月3日]


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