『五番町夕霧楼』の舞台、五番町遊廓跡を歩く

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

代表作の『飢餓海峡』をはじめ、作中に遊廓や娼婦が出て来ることの多い水上勉は、やはり自身も相当の放蕩者だったらしい。
『五番町夕霧楼』の舞台になったのが、おそらく本人も何度も遊びに行ったのであろう京都の五番町遊廓である。

千本出水バス停が最寄り

その場所は、西陣織で有名な西陣の近く。二条城と北野天満宮のちょうど中間あたりにある。
徒歩で行くにはどの駅からも遠かったので、阪急大宮駅から市バスに乗った。

スポンサーリンク
広告336×280

五番町の成り立ち

五番町のはじまりは江戸時代まで遡る。花街として出発したが、明治時代に遊廓となる。
その頃はまだ芸娼混合だったものの、格式の高い上七軒花街から近かったこともありやがて娼妓中心のシマになっていったと言う。

明治末期には貸座敷120軒娼妓350人だったというから、かなりの規模だったことがわかる。
戦後は「西陣新地」の名で営業していたが、1958(昭和33)年の防止法を機に廃止。

五条楽園のようにはならず、そのまま住宅街へと変容し、現在ではもうほとんど名残は残っていない。

ともあれ、この目で確かめてみないことには始まらない。

元々境目が曖昧だったという五番町遊廓のあたりへやって来ると、すっぽん料理の老舗、大市が目の前に現れた。
創業が元禄年間で330年ほど経っているというのも驚きだが、建物が当時のままというのがもっと驚かされる。

すっぽんと言えば精力増強、精力増強と言えば・・
と、自動的にエロ方面へ脳内変換されていったが、よく考えてみたらこっちのほうが色街より歴史が長いんだから無理やり紐付けるのも失礼な話だ。

さて、現在の五番町には、見ごたえのある遺構が2軒残っているという。早速現地に足を運んでみると・・

何でしょうこのATフィールドは(´・ω・`)

いやぁ。こんなん見に来たんじゃないんだけど。

軒灯が艶っぽい隣の町家ももしや、と思わせる佇まいであるがあまり気休めにもならない。
鍾馗さんに向かって恨み節のひとつでも言ってやりたい気分である。

嘆いてても仕方ないので気を取り直していきましょう。

すでに閑静な住宅街に成り果てている五番町で、ただ一人異彩を放っていたのがピンク映画館の千本日活。

1961(昭和36)年に東宝の映画館としてオープンし、諸事により2年後に日活に鞍替えしたそうである。

お世辞にも交通の便がいいとは言えないこの場所で今日まで命脈を保っているのがすでに奇跡だと思うのだが、入場料金がまさかの500円だった。どう考えても採算取れてないだろう。

一度だけ上野オークラに入ったことがある筆者からすると、もはや隔世の感しかない。

ちょこちょこあるスナックの存在で、色街として栄えた時代を微かに偲ぶことができる。

(2ページ目へ続く)

スポンサーリンク
広告336×280
広告336×280

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. maru より:

    母親が水上作品が好きで、よく読んでいました。
    私自身はどこか影があるので、水上作品は読んでいません。
    昔の作家というと、酒と女は付き物ですね。

    • mast-mo より:

      あの玉の井だって、永井荷風をはじめ、人知れず文士が通っていたそうですからね。明治~昭和初期の作家と色街は切っても切れない関係だと思います。