山口瞳『血族』の舞台となった柏木田遊郭跡を歩く

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昨年(2014年)の4月頃に、横須賀にあった3遊郭を二回に分けて訪れた。今回紹介するのはその中でも最も古い「柏木田遊郭」で、作家山口瞳の私小説『血族』の舞台となった場所である。
柏木田は公娼地、つまり政府公認の遊郭でもともとは大滝町(現三笠通り)にあった。現在で言うと横須賀中央駅のすぐそばあたりになり、昔はこの辺りまで海だったらしい。
しかし明治21年に大火で焼失、明治22年6月頃に柏木田に移転した。
その名の通り当時は田んぼだったところを、横須賀刑務所の受刑者に山を切り開いて田んぼを埋め立てて遊郭を作らせた。それが名前の由来となっている。
開所当時は17軒の妓楼が建っていたという。

01
その場所は横須賀市上町三丁目あたりになる。横須賀中央駅からひたすら坂を登って行き、1.2kmほどであろうか。15~20分程度かかるへんぴな場所にある。
バス通りの県道の南側に、並行するように不自然に道幅の広い路地があって一目でそれとわかる。写真は西側から東方面を撮ったものである。

山口瞳が初めて柏木田を訪れたときの感動を、こう述懐している。
しかし、いま、私の目の前にある通りは、ひとめ、幅員十七、八メートルはあると思われた。(中略)私はそこを横に歩いてみた。私の歩幅でもって十九歩だった。

02
柏木田という地名は今はもう残っていない。京急安浦駅もそうだが、遊郭の名残を示す地名は歴史の闇に葬られることが往々にしてある。
しかし、町内会はいまでも柏木田という不思議。

血族のあらすじは、山口瞳の母が柏木田遊郭の妓楼「藤松楼」の娘であり、終生それを息子に隠していた。親類縁者も徹底してそれを隠し続けていたが、うすうす何かを感じていた筆者が、母の死後に真相の究明に乗り出すというお話。
ここを訪れたあとに読んだことを今では少し後悔している。先に読んでおけばよかった。

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すでに諸先輩と呼べる方々が何人もレポートしているが、現在の柏木田には遺構と呼べるものが何一つとして残されていない。
戦後、カフェー街として存続したのだが、この狭い間口の3階建てなどはもしかしたらその名残かなぁ、と推測を楽しむ程度。

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この家、すでに人が住んでいる気配はなかった。
いずれは取り壊されるのかもしれない。

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『血族』に次のような一節がある。
同書には、「特殊風俗業態(柏木田カフェー街)分布図」という地図が載せられているが、どうやらこれは戦後のものであるらしく、リリー、菊美、バージン、大玉、花月、大美、末広、福住、入船、福助などという、それらしき名が散見されるだけである。

この中で最後に登場する福助が、転業旅館ならぬ転業ビジネスホテルとして永く柏木田時代の最後の遺構として生きながらえていたが、2012年の夏、ついに解体される憂き目に遭ってしまう。
訪問前はGoogleマップのストリートビューでも確認できたのだが、最近見てみたら付近のビューが2014年3月撮影のものに更新されていて遅かったか・・と思わず天を仰いだが、よくよく見ると福助ホテルがあった西半分が道路工事中のため2010年4月のままになっていた(笑)
さすが天下のGoogleさんと言えども、工事中の場所にストリートビュー撮影カーで入ることはできなかったようです。
というわけで、いずれは見れなくなる貴重な画像なのでこの場を借りて掲載させていただきます。いいよね?w
16
これが在りし日の福助ホテル。
ちなみにひとつ前の画像は現在の同じ場所。モダンすぎて風情のかけらもないマンションになってしまった。福助ホテルを見るためにわざわざ柏木田に足を運ぶ人たちであれば皆膝から崩れ落ちるレベル。

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福助跡の右横の建物も、どことなくカフェー建築の残党のような雰囲気を醸し出している。現在では目を引く建物はこの程度である。

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遊郭の南側にある穴守稲荷。
柏木田は女郎に対してひどい扱いをする妓楼が多かったそうで、病気になっても医者に診せず何も食べさせずに座敷牢に放り込んで、死んだらこっそり夜中に捨てに行く。そのためか、経営者の家はどこも絶えてしまい地元ではそれを祟りと呼んで恐れていた。
このお稲荷さんに祀ろうとしたこともあったそうだが、誰も金を出さないので立ち消えてしまったらしい。

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近くにあった妓楼っぽい建物。通りから外れてるので違うと思うけど。消防団に使用されてました。

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その前にあったただの美容院。関連物件でもなんでもないけど、斜め把手だったのでなんとなくパシャリ。

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銅板の看板建築がまだ遺っていた。おそらく昭和初期頃建てられたものだろう。

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二階の窓が遊郭建築によく見られる特徴そのまんまなお宅。

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通りの東端にある肉屋。全面タイル張りに見えたから撮っただけで特に深い意味はありません(笑)

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その肉屋の前。西方向を望む。
当時はここに大門があり、見返り柳や桜並木まであったらしい。そして、右側のちょうど車が停まっているあたりに先述した藤松楼があった。
大門から入ってすぐ右側、今でいう三軒分に相当し、実に間口が36mほどあったというからかなりの大店だったことが窺える。

私は、ついに、やっと、藤松の、母が生まれて育った地点に立ったのだった。

かつてこの場所を訪れた山口瞳はこのように回想している。

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そしてこれが在りし日の柏木田遊郭大門通り。手前右側に見えるのが藤松楼であろうか。
同じ場所と言われてもどうにもぴんと来ない。
それぐらい今では何もなくなってしまった。

柏木田が衰退したのは、安浦や皆ヶ作に客を取られたからというのがもっぱらの通説となっている。
それもそのはず、軍港であった横須賀で登楼する客というのはだいたいが海軍や港湾関係者。こんな坂の上の遠いところまで行きたくないと思うのが普通である。
さらに政府公認で格式が高かった柏木田に比べ、素人風で安く遊ばせた安浦。近いし安いならそりゃみんなそっちに行きますよね、っていう話。

そんな遠い昔に思いを馳せながら、散策を終え帰路に着いた。

[訪問日:2014年4月12日]


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コメント

  1. CHEWTA より:

    この辺の生まれなのですが、僕が小さかった頃は新聞屋さんのところに「上町トルコ」というのがありました。
    後に「上町ソープランド」に変わってしばらく営業していましたが、いつの間にか無くなっていたんですね。
    ちなみに、僕らが小さい頃、福助ホテルのことを意味も知らず「連れ込み」と呼んでいました。
    この記事を読ませていただいて、懐かしい記憶が蘇ってきました。
    ありがとうございます。

    • mast-mo より:

      CHEWTAさん
      子どもが「連れ込み」なんて言葉を使ったら大人は苦笑いするしかありませんね^^;
      こんな場所にソープがあるなんて、事情を知らない人はかなり不思議に思ったでしょうね。今の景色からは想像もできませんが。
      赤線跡を歩く人って、だいたいここ数年程度の風景しか知らないものなので、当時のことを知っている方からのお言葉は本当に貴重でありがたい限りです。ありがとうございました。