横須賀最強の赤線街「安浦カフェー街」跡を歩く[2]

神奈川県
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昨年の4月に二週連続で横須賀にあった三遊郭を散策したときのことを書いてきたが、いよいよこの安浦後編を持って完結となる。

安浦は、もともとは大正期に形成された土地で、軍港発展にともない住宅地を確保するために海岸部を埋め立てて作られた。その工事を請け負ったのが「安田保善社」であったことにより、港を表す「浦」と一文字ずつくっつけて「安浦」になったと伝えられている。

住宅とともに歓楽街が設置され、公娼地であった柏木田よりも安く庶民的だった安浦は地元の漁師や船乗りにウケ、その後の発展へとつながっていく。

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赤線時代の遺構ではないけど、「昭和の遺構」としてその姿を収めたくパシャリ。
ん?ちょっと待て。いま気づいたけど、窓の上のところに「BAR」って書いてある。
ってことは。US Navy御用達のお店だったかもしれませんね。

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安浦で三本の指に入る代表的な建物。壁面には「明るく住みよい町づくり」ですか。この手のスローガン、こういうとこではよく見かけますよね。

筆者はどちらかと言うと赤線のような場所は社会にとっては必要であるという立場なのだが、基地問題や原発と同じでそこに住む方々にしてみれば癌のような存在なのだろうというのは理解できる。

特に教育面での悪影響が必至で、そこに住んで子供を育てたいと思う人がいないということは、少し飛躍して考えれば人口の流入を阻害し街の発展、新陳代謝が失われてしまうという大きな問題を孕んでいる。

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元床屋さんだろうか。大理石のタイルがしつらわれている。玄関部にも市松模様のような黄色いタイル。

前編でもちょろっと触れたが、タイトルにもこしらえたようにここ安浦が「横須賀最強」であったのは、近年まで『現役の街』としてその名を馳せていたからである。
ネット記事を徘徊した感じでは、2010年頃には完全に壊滅したようであるが、かつて本気を出した神奈川県警に、2000年頃の時点で数店舗の規模になるまで追い込まれた歴史がある。

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把手が斜めになっているドアはカフェー建築では定番。
「良美軒」。屋号だろうか。
しかしこの「クリーンよこすか」って柏木田でも見かけたような(笑)

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真打ち登場

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そしてこれが、現在の安浦でNo.1と言える遺構。出かける前に予習していたので写真で見てはいたのだが、いざ目の前に立つと前編の初音のとき以上の感動を覚えた。
タイルの部分にはネオン看板が取り付けられていたと思われる金属の枠。

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左側面には謎のはしご。通ってるのが奥さんにバレて二階に上がり込んできたときに、ここから逃げるためにあったとか?(笑)
「現在の」と言うのは、かつて安浦にはおそらく誰に聞いても一番美しいと言うであろう真っ青なタイル張りの強烈なカフェー建築があった。
残念ながら2011年頃に取り壊されてしまい、さすがにそのときは多くの赤線ファンが落胆を隠しきれなかったようだ。

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玄関にもさりげなくタイルがあしらわれていた。

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細部まで眺めながら現役の頃の情景を想像してみる。
考えてみたらけっこう危ないヤツだなぁと思うわけだが、赤線跡を歩く人たちってそもそもが激レアな変人達変わり種であると思ってるので自分でももはや気にならなくなってしまった。

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せっかくなのでタイルのどアップも撮っておいた。まったくもって使い道のない写真である。

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せっかく一眼レフを持ち出してきたので背景をぼかしてみる。

それにしても一眼レフを持って赤線跡をうろつくのは場所によっては結構勇気が要る。なので、安浦を訪れた一ヶ月後くらいにミラーレスを導入した。
広角側の画角が少し狭くなったが、それでもミラーレスのおかげでその後は劇的に仕事(?)が捗るようになった。

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絶妙な配色でとても艶っぽい建物。
そして左側にある街路灯に注目してほしい。赤線跡を歩くでも紹介されているが、安浦には当時の名残をとどめる石造りの柱を持つ街路灯が今でも残されている。

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その朽ち果て具合たるや、積み重ねてきた歴史を静かに語りかけているようでもある。隣にある建物もおそらく遺構でしょう。
歴史と言えば、安浦にはもうひとつ特筆すべきことがある。RAAとの関係だ。

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RAA(特殊慰安施設協会)は、終戦後の占領下における日本で誕生した国営の慰安所である。米軍による性犯罪が多発することを予測した国家が、先回って警察とタッグを組んで迅速に設置した機関で第一号は東京の大森にあった料亭「小町園」であった。

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安浦もRAAの指定地となり、「安浦ハウス」が開業。
ここは性病の蔓延ですぐオフ・リミッツ(立入禁止)となったが、街に米兵があふれていた横須賀では性犯罪が多発している。当時は街娼のことを「パンパン」と呼んでいたが、外人専門のパンパンである「洋パン」が横須賀にはたくさんいた。

相当数の成人男性が戦死し、人口構造がいびつになっていた戦後の日本。国家を守るため、大和撫子の純潔を守るため、そして何より自分たちの生活のため。体を売ってでも必死に生きていた時代が確かにあったのである。

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そのような歴史を持つ横須賀安浦が、その名前を消したいと願う気持ちはとてもよく理解できる。好奇心だけで歩いても決して得ることのできないものが、その土地の歴史を知ることではっきりと浮き彫りになるということを改めて強く感じた。

そんな4月の安浦散策だった。

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最後におまけ。安浦三丁目の外れ、お隣の三春町に小泉純一郎元総理の邸宅がある。写真の奥、門の前に人が建っているが、これは現職の警察官。
元総理の家は、その後の政治活動にもよるけど退任後も継続して警備が行われることがよくあるらしい。

横須賀出身であることは有名なので知っていたが、まさか安浦のすぐそばだとは思わなんだ。
あのカリスマ性はきっとこの地で育まれたんでしょうね。千代田区や港区あたりに住んでいたらきっとああはなっていなかったと思う。

[訪問日:2014年4月19日]


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