埼玉県本庄市『宿場町の遊里跡』

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埼玉県本庄市。と聞いてもどうにもピンと来なかった。

上越新幹線の「本庄早稲田駅」があるところぐらいの知識しか持ちあわせていなかったが、江戸時代には中山道最大の宿場町として栄えたという実績を持つらしい。

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でかい宿場町には飯盛旅籠が置かれ、宿場女郎がいたというのは世の常である。本庄もご多分にもれずそういう街であったらしい。
というわけでその名残を探すために立ち寄ったというのが今回の話。

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当時の中山道は本庄駅と市役所の中間あたりにある県道392号線で、結論から言うと遊郭だったと思われる界隈はこの旧中山道と駅の間にある「銀座」という場所にあった。

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ただ、本庄には他にも渋い町並みが今なお健在だと言うので、ひとまず外堀からじっくり眺めてみようとあてどなく彷徨ってみることにした。

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昭和のレトロ建築が満載

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手始めに、駅前にある「本庄駅北口」の交差点を左折し、まっすぐ進んでみる。
駅近なのにすこぶる昭和でございます。

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で、その横にあるのがこの「ニシザワ写真館」さん。
昭和初期に建てられたそうで、いつからかはわからんけど廃業したまま放置されている模様。

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その先、銀座1丁目交差点には、同じく昭和初期と思しき看板建築が威容を放ちながらででーんと立っていた。

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地名から察するに、昔はこの辺りが本庄の中心地だったのだろう。名実ともに。
今日では中山道や幹線沿いに立つ大型店にそのお株を奪われてしまっている。

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裏側が気になったので横に回ってみる。
驚いたのが、店はいくつか連なっているものの建物は1棟の長屋だったということ。一体どういう間取りなんだろうか。

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適当な路地を折れて北へ向かう。
本庄市指定文化財の山車がこの中に入っているようです。かなりでかそう。

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この通り、西銀座商店会と言うらしいんだけど“銀座らしさ”が微塵も感じられません。
完全に時が止まっている。

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一見して閉店してるように見える八百屋さん。
でも、地方都市だとこういう見た目でも普通に営業してたりしてカルチャーショックを受けることが往々にしてある。

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突如ぽつんと現れるスナック。

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このあたりで旧中山道へ。
この煉瓦造りの建物、明治27(1894)年頃に建てられた「旧本庄商業銀行倉庫」。
近年は洋菓子店として使われていたのを市が買い取り、文化施設として整備するんだとか。
行ったときはちょうどこの耐震補強工事をしている真っ最中だった。

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市の歴史民俗資料館が気になっていたが、そっち方面へ向かうも華麗に通り過ぎ・・実は目的地は別のところ(笑)

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辿り着いたのは「普寛霊場(ふかんれいじょう)」。
普寛は江戸時代の修験者で、2014年に戦後最悪の火山災害を引き起こしたあの御嶽山の「王滝口登山道」を開いた人物である。この普寛が没したのがまさにこの地なのだ。

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と言っても、別に普寛に興味があったわけではなく…見たかったのはここの玉垣。
「新吉原角海老楼」「新吉原品川楼」「新吉原一元楼」などと、なぜか吉原の妓楼が寄進したことを示す痕跡が残されている。

その理由は…よくわかりませんw

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    成田山の玉垣には須崎の業者が多いです。
    もちろん、当時のですが。

    ミッキ-といえば「ミッキ-安川」ですな。

    • machii.narufumi より:

      成田山って新勝寺ですよね。そうなんですか~2年ほど前に行きましたが玉垣は見なかったなぁ。惜しいことをした。。

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