豊橋市『有楽荘』跡を訪ねて

この記事は約3分で読めます。

※2019年2月に再訪し、加筆修正を行いました。

強化地域にでも指定されてたのかと思うほど愛知県を重点的に歩いた今回の遠征。
愛知最終章は豊橋…およそ1年半ぶりの再訪である。

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豊橋から、豊橋鉄道渥美線などというマイナーなローカル線で二駅。やって来たのは「小池」という場所である。

…今この名を聞くとどうしても都知事選で圧勝した某知事が想起される。

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実は、前夜はこの小池駅そばにある古風な旅館に投宿したため、目的地へはそこから直行している。
さも朝から電車を乗り継いでやってきたかのような体で書いているがこれは大嘘である

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小池駅から北西へ。徒歩5分。「有楽町」という交差点の西側が今回の目的地である。
たぶんイトシアのある「有楽町」とはまったく関係ない。

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前回、東田園のことを書いたときに最後にこう結んだ。

ちなみに豊橋市内には、もうひとつ遊郭跡がある。
こちらも機会があればいつか訪問したい。

その機会に恵まれたのが今回ということになる。

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遺構たちのレベルの高さに驚く

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結界に足を踏み入れ、最初に出会った遺構がこちら。いかにもと言った遊郭建築である。

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この一帯、巷では「有楽荘」などと呼ばれている。

吾妻遊郭が移転開業して「東田園」になったことは触れたとおりだが、そのとき一部業者が新天地を求めてこの有楽町に新しいシマを作ったのだという。

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なので、誕生したのは戦後、昭和20年代でまず間違いないと思う。
しかしながら、それ以上のことがよくわからないのである。

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手元の資料には一切記載がないし、Webにも情報が乏しい。酔狂な偉大な先輩ブロガーたちの貴重な体験談によってその存在を知ったというのが実情。
いつもながら頭が下がります。

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和洋折衷の遺構は、そういや東田園でも見かけた。戦後間もなく、と言った時代が反映された建物だと思う。

どことなく雰囲気が似ているのはやはり兄弟のような間柄だからだろうか。

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隣の建物もまたすごい。あまり知られていない場所なのに遺構のレベルの高さは東田園と遜色ない。というか下手したら凌駕さえしている気がする。

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戸が数センチ開いている。
閉め忘れでしょうか。いいえ、わざとです。

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自分で確かめたわけではないのであまり声高に言えないが、どうも有楽荘では今でもその手の商売が行われているとかいないとか。

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“営業中の合図”が、さっきの戸の開け方らしいという話である。これを聞いたとき、真っ先に五条楽園が頭に浮かんだ。

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ときは1月2日である。三が日とは一体何なのか。
まさか一年前の徳島での追体験を再びすることになるとは思わなかった。

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↑2019年2月時点で、こちらの建物はなくなっていました。

それにしてもよく遺構が残っている。
これでも、ここ数年でいくつかなくなってしまったそうであるがこれだけ残っていれば十分である。はるばる来た甲斐があった。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    私が歩いたころと、あんまり変わらないようです。
    ここは、近くのコンビニに車を止めて
    探索した記憶が。

    • machii.narufumi より:

      ミニストップですよね。
      僕は散策後にそこで珈琲飲みました(笑)

  2. べし。 より:

    素晴らしいサイトですね!私は中村遊郭(名楽園)から歩いて15分ほどのところで生まれ、育ち、今も暮らし、大学の4年間は豊橋の小池で暮らしました。このレポートを拝見し、有楽荘のことが気になったので、今も豊橋に住む友人に「新々がまだ営業してるか見てきて!」と頼んだところ、返事が来ました。「平成29年4月10日現在、絶賛営業中!」と写メ付きで返事が来ました。ホッとしました(笑)よろしければ写真送ります!

    • machii.narufumi より:

      べしさん
      コメントありがとうございます。
      ご実家が名楽園から15分で大学が小池とは…素晴らしい人生ですね(笑)
      新々は割烹店だと思っていたのですが、あそこもその手の商売をされていたのですか?それは意外でした。
      是非写真を拝見したいので、のちほどメールお送りしますね。

  3. アンテナ より:

    おまけの一つ上、リノベした赤い壁の家が今も健在です。
    You Tubeでも紹介されています。

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