渡船場の遊里 桑名市『桑陽園』

三重県
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久々の赤線ネタは、このブログ初登場となる三重県。

やって来たのは、かつて「七里の渡し」の宿場町として賑わった桑名市である。有名なのは何と言ってもナガシマスパーランド。次いでなばなの里だろう。

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遊郭は渡船場のそばにあった

桑名町遊郭から赤線『桑陽園』となった桑名の遊里は、桑名駅から東へ約1.5km、かつて七里の渡しの渡船場があったあたりにある。

泉鏡花の小説の舞台にもなった有名な料亭、『船津屋』からスタートすることにしよう。

七里の渡しとは、東海道最大の難所で、今の熱田神宮あたりにあった宮宿と桑名宿間をつなぐ、約30kmにも及ぶ海上路である。そのため、両宿場には旅籠が多く、やはり飯盛旅籠も多かった。

ここに遊郭ができたのは、そういう意味では宿命的だったとしか言いようがない。

早速、赤線時代の遺構に出会う。旅館「菊水」さん。

【2017/03/21追記】
誠に残念ですが、菊水さんは解体されてしまったようです。

板塀の意匠が紅灯の時代を偲ばせる。

昭和5年の『全国遊廓案内』によれば貸座敷42軒、娼妓約150人。一廓を成さず散在していたのがこの規模の原因という。

対して、昭和30年の『全国女性街ガイド』には20軒約100名とある。いずれにせよかなり規模が大きかったことがわかる。

最も胸熱だった物件がこちら。こんなゴッテゴテの豆タイル久しぶりに見たよ。

【2018年7月20日追記】
こちらの建物も解体されてしまったようです。ご冥福をお祈りします。

『全国女性街ガイド』に芸者30名という記載のあるところを見ると、ここは芸娼妓混合だったのだろう。実際、料亭や元料亭っぽい割烹店がよく目についた。

上記「割烹日の出」さんの一部が、先ほど紹介したもの以上に以前は豆タイルゴッテゴテだったらしい。

今はもうすっかり更生してよい子に・・うん、頭以外はw
制服はちゃんと着るようになったけど髪は黒くして来ない高校生みたいだw

蛤料理と書いたこちらの「みくに」さんには料理店の鑑札が残っていた。

なるほど、どうやら桑名は蛤が名物であるらしい。

既に時刻は18時半に迫ろうとしていた。もうすぐ一日が終わる。
だが、もう移動する予定はない。はなから残りの時間はここで使い切るつもりだった。

その建物たちは、どこからどう見ても色街の残党であることを示唆していた。

左の建物にはバーの鑑札。

艶っぽい小路が残る。

せっかく来たので七里の渡跡も見ていくことにしよう。

かつてこの地にあり、東海道を行き交う旅人が必ず目にするシンボルだったという桑名城の櫓が再現されていた。

過酷な船旅を終え、無事桑名に上陸した旅人たちは、皆この櫓を見て安堵したに違いない。

日没はすぐそこまで迫っていた。どこまでも美しい入梅前の空が、至福のひとときを旅人にもたらしてくれた。

もうすぐこんな空も見れなくなる。その美しさはある種、最後の悪あがきのようにも見えた。

かつてはこの辺りまでが遊里の範囲だったという江戸町界隈を歩いてみたが、こちらにはもう何も残ってなかった。

いや、そもそもが一廓を成してなかった時点で、範囲がどうとか言うのは滑稽な話だと思う。

桑名の総鎮守だという桑名宗社(春日神社)の大鳥居が、かつて東海道屈指の宿場町であった栄華を誇るかのように堂々たる姿で立ちはだかっていた。

色街見学の副産物として、歴史の一端に触れられたことはこの日の収穫だった。

そしてようやく長い一日が終わりを告げたのであった。

[訪問日:2016年6月2日]


コメント

  1. maru より:

    いいタイル物件です!
    最近は見かけなくなりますね。

    • machii.narufumi より:

      タイル物件はどんどん減ってますね。つい先日金津園の有名な遺構も消えちゃいましたし。

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