2015年、萩の城下町が世界遺産に登録された。
範囲は、元々「武家町」として重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)になっていた堀内地区一帯。
萩観光の目玉と言えるエリアだ。
ちなみに、堀内地区が重伝建に選ばれたのは1976年9月。
妻籠宿や京都・産寧坂と並んで登録第一号の肩書きを持っている。
萩城下町の歴史
萩の始まりは江戸時代。
関ヶ原の戦いで西軍を率いた毛利輝元は、敗戦後に徳川家康から減封(領地を減らされること)を命じられ、ここ萩に居城を築いた。
日本海に突き出た指月山(しづきやま)に城を築き、城の南東にあたる三の丸につくられたのが、上級武士の屋敷が集められた武家地。これが現在の堀内地区にあたる。
実は世界遺産のほうが少しだけ範囲が広く、城跡と、武家地の東にある旧町人地を含んでいる。
さっきから写真ぺたぺた貼ってるのがこの旧町人地のほうなんだけど、見どころがてんこ盛りすぎて全然足が進みませんw
これは木戸孝允の生家。
続いて高杉晋作の生家。
いや、ご近所すぎでしょw
ここへ来ると長州藩や明治維新なんかに嫌でも触れられるので、歴史好きにはたまらないと思う。
逆に、そこに興味のない人にはあまり面白くないんじゃないかな、とも。
この旧町人地の筋には「江戸屋横丁」「伊勢屋横丁」「菊屋横丁」という名がついており、由来はわからないけど江戸時代の名残であることは間違いなさそう。
町割りについても江戸時代の地図がそのまま使えると言われるほど変化がなく、今も往時の風情をそのままとどめている。
続いて、旧上級武家地の堀内地区へ。
ここは広いので、徒歩である程度ちゃんと回ろうと思ったらかなり大変。
特に夏場はオススメしない。熱中症でぶっ倒れかねないのでレンタサイクル借りたほうがよいです。
堀内地区には藩の諸役所と武家屋敷が立ち並んでいたが、現存する屋敷はそこまで多くない。
と言うのも、萩城は幕末に山口城(山口市)へ移転しており、そのときに武家町もろとも荒廃してしまい多くの屋敷が壊されてしまったそうだ。
そんなわけで、堀内地区の遺構は土塀やら長屋門やらが多い。
でも、区画はそのままだし土塀や石垣は風情があるし、武家町の雰囲気は感じることができるので歩いていて楽しい。
江戸時代中期の武家屋敷長屋の特徴をよく残している旧周布家長屋門。
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