海と陸の境界線をなぞりながら、車窓という名のキャンバスに青一色を描くローカル線。
何とも愛らしい黄色い車両。
この日の目的地である古い町並みは、かねてから乗ってみたかったこの島原鉄道の沿線にあった。
そんなわけで、この電車に乗って「神代町」という町を目指した。
鉄道ファンにはおなじみ、予讃線の「下灘駅」と双璧をなす“海に近い駅”、大三東駅。
なんせ満潮時には駅が沈むんじゃないかってぐらい近い。
目的地の神代町は、だいたい島原半島の最北端に位置している。サッカーで超有名な国見高校がある町である。(国見町は合併し、現在は雲仙市)
「かみしろちょう」かと思ってたら「こうじろまち」だった。斜め上すぎる。
この神代町は、江戸時代につくられた武家町がえぇ感じに残っており、それがえぇ感じに保存されている。今日はそれを見に来た。
神代小路
駅から南へ5分ほど歩いたところにあるその町並みは、巷では「神代小路」と呼ばれている。
なるほど「かみしろこうじ」ね、ふんふん、とか思ってたら
こうじろくうじ
と読むんだと・・。誰が読めるんだよそんなの・・
で、この神代は、佐賀藩の領地だったところで17世紀後半に領主の鍋島氏がつくった武家町。
藩主の陣屋だったところに建てられた鍋島邸(旧鍋島家住宅)。
主屋だけは昭和初期、長屋門や土蔵など、他の文化財は江戸~明治期に建てられたものが計5棟。
国指定重要文化財であり、有料で一般公開されている。
さっき“佐賀藩”と書いておや?と思われた方もいるかもしれない。
島原藩(有馬氏)が治めていた島原半島で、なぜか神代だけが佐賀藩。
これは、秀吉が九州平定の折、有馬氏を牽制するためにあえて島原半島に鍋島領をつくったということらしい。
というわけで、ここは昔は佐賀だったと。
で、小路を「くうじ」と読むのは佐賀の方言なんだそうで。
歴史って面白いね。
さて、神代小路の特徴はと言うと。
江戸期の地割がほぼそのまま残っていることに加え、水路、石垣、生垣などと調和した伝統的景観が保たれている。
その辺りが評価され、2005年に重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に。
ジャンルは「武家町」。
地区の西側が城山になっており、かつて鶴亀城という城だった。(一国一城令で廃城)
あとの三方は川になっており、防備に配慮してつくられたまちだったことがよくわかる。
保存地区を歩くと、みやげ屋や飲食店の類のみならず、自販機すらない。
これは、景観維持を重視する地元住民の意志がまちづくりに現れた結果なんだとか。
なので、もしかしたら物足りなさを感じる人のほうが多いかもしれない。
感じ方・捉え方は、ここを訪れる人の目的によって大きく変わってくると思うけど。
まぁ正直なところ、自分も物足りないと思ったほうなんですけどね(苦笑)
で、なぜかヤギがいて(謎)
印象に残ったのが町並みじゃなくてヤギに会ったことってどうなんだろう…。
というわけでそろそろ駅に戻ろう。
ここが保存地区の南東。川幅は割と広く、容易に攻め込めないようになっていたことがわかる。
この神代小路は、南北450m、東西250mと実のところ結構小さい。
鍋島邸を見ても1~1.5時間ぐらい見ておけば十分。
ここの白眉は何と言っても生垣と水路だろうと思うので、行くのであれば緑が青々としてくる初夏あたりがいいと思う。
あと、鍋島邸の庭園にヒカンザクラがあるので、見頃となる2月末~3月上旬頃。
遠方の人も、そうじゃない人も、是非島原鉄道に乗って。
素晴らしい車窓風景を噛みしめて頂ければ。
最後のほう、観光協会の回し者みたいな語調になっちゃったけど・・こんなところで締めときます。
この後、舞台は島原の城下町へ。
[訪問日:2018年1月6日]
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