新潟と言えば米処、酒処、そして美人処(意味不明)である。
いや、実際に美人が多い土地だと言われる。それは雪国特有の肌の白さのなせる業であろうが、とにかく男にとってはいいところであることだけは確かだ。
そんな土地柄だからか、色街も大いに繁栄したそうである。その中でも、新潟最大の遊郭と言われた『新潟遊郭』の名残を求めて、当地を訪ねてみた。
その場所は新潟駅の北方、新潟島の東部に位置する本町通十四番町。
ゆえに一般的には「十四番町遊郭」と呼ばれる。
火事で移転した遊郭
例のごとく『遊郭をみる』より当時の様子をば。
誕生したのは明治31年(1898年)8月。1893年に、西堀前通りにあった貸座敷が火事で焼けたことを契機に、かねてより市の中心部から郊外に移転させたかった県がなかば強引に決定してしまったという。
『全国遊廓案内』によれば、昭和初期には貸座敷94軒、娼妓約500人とある。これだけ見てもどれぐらいの規模であったか容易に理解できる。
現在の同じ場所から撮影。
正面に見える三角屋根は浄信院入船地蔵尊。これは今も健在。
妓楼はなくなれど、全体的な雰囲気にはさほど変化がないように感じる。
気になるのは写真左に見えていた古い建物。
結論から言うと、こちらの「旅館福田」さんは元妓楼の転業旅館で当時の屋号を「福田屋」と言った。
この日は佐渡から戻ってきて旅の最終日だったので行程上宿泊は叶わなかったが、遊里歩きの諸先輩方がこちらに泊まった体験談をアップしているので、興味のある方は一読されることをお勧めする。
実地に基づいたかなり貴重なレポートを掲載されているので、大変参考になるかと思う。
ちなみに福田旅館さんは質屋も営まれており、セブンイレブン横の細い路地からアクセスできる。
その前にも旅館があったのだが、転業かどうかは一見してよく分からなかった。
十四番町遊郭は、戦後は赤線に移行。これまたいつもお世話になっている『よるの女性街・全国案内板』には、赤線時代のことが以下のように書かれている。
いわゆる赤線で四ツ屋一丁目、東掘十三番丁、本町十四番丁、寄附町、西受地町、横七番丁にわたつているが通称十四番丁という。現在でも会津楼、会々楼、桜屋などには張店があり廓気分は溢れている。
福田旅館さんの向かいにも、「もしかして昔貸座敷やってました?」的な佇まいの長屋風家屋。
奥行きがかなり長い。
十四番町遊郭跡は、今地図で見てもいまいち地割からは判然としない。
確かに道幅は広いけどそこまで極端でもないし、「田」の字になっているわけでもないし。
判る人が見たら判るんだろうけど、筆者にはそこまでの眼力はないっす。
さて、先述した1893年の大火の際、焼け残った貸座敷は五年間の猶予を経て移転することになっていたそうであるが、いざ移転しようとしたら十四番町にはすでに土地がなく、仕方なく東隣りの常盤町に移っていったという。
そして出来上がったのがこちらの『常盤町遊郭』。
見ての通り、かなり立派な大門があったようであるが、ここが現在どこにあたるのか分からなかった。
現在の住所でかなり広い範囲に渡っていたのがその理由だが、「寄附町、西受地町が中心だった」とあるのでそのあたりを歩いてみたら、一軒だけ間違いなくそれとわかる遺構が残っていた。
どーん。
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コメント
はじめまして、
最近 遊郭跡に興味を持ち始めましてブログ楽しく見せて頂いています。
本日、本町14の辺りを散策しに行ったのですが、
”旅館 新松葉” 更地になっていました。
とても残念です。
はじめまして。コメントありがとうございます。
新松葉、解体されてしまいましたか・・それは非常に残念です。
貴重な情報ありがとうございます。サイトに追記させていただきますね。