観音裏の浅草花街を歩いたあと、浅草六区方面へ。
と、その前に花やしきのすぐそばにあるパチ屋に寄り道。
小一時間ほど遊んで・・とかではなく。用があるのは店の中じゃなくて店の前。
自販機の右側に何かあるのが見えるでしょう。
凌雲閣。通称「浅草十二階」。
1890(明治23)年に建てられた高さ52m、当時としては衝撃的だった超高層タワーである。足元にあった銘酒屋街が通称「浅草十二階下」と呼ばれるほど、当時の世相に影響を与えたランドマークタワー。
この名物タワーがあったのがまさにこの場所でして、という話。
浅草六区へ
浅草寺の西側一帯が浅草六区。かつて大衆娯楽の集積地として空前の活況を呈した場所である。
現在では演芸ホールやロック座が、辛うじて往時を偲ばせるよすがとなっている。
浅草六区ゆめまち劇場。ここもまた、六区の系譜を継ぐ施設と言えよう。レストランシアターという、飲食しながら演劇を楽しめる施設。
実は、本日の目的地がここなのである。
それは劇場の手前、ロビーにあたる部分にあった。三十坪の秘密基地という名の、昭和レトロ満載な資料館になっているのだ。
入場料はワンドリンクで500円。お客さんはたくさんいたけど皆劇場に来た人たちで、秘密基地に来たのは筆者の他に誰もいなかった。
※三十坪の秘密基地は2019年1月に閉館しました
入口が分からなくてしばし付近を彷徨ったあげく、まさか劇場内に・・という意表の突き方。まさに秘密基地と呼ぶに相応しい資料館だと思う。
そして、入ってまず目につくのが・・
当時の浅草六区のジオラマ。これが先ほど跡地を見てきた凌雲閣、通称「浅草十二階」である。えっと・・銘酒屋はどこだろうw
凌雲閣は関東大震災が致命傷となって爆破解体される運命をたどるので、このジオラマは明治~大正期の浅草であろうか。
1/80というジオラマはかなり精巧に作られていて思わず感嘆の声が漏れる。
作成者は山本高樹氏。著名なジオラマ作家だそうである。
看板建築の本屋が揃い踏み・・圧巻の光景。よく見たら照明もちゃんと再現されてるんですね。豆電球とか使ってるのかな。
それにしても・・これぞ職人芸、まさに匠の技である。
おもむろに視線を右側に移すと・・ん?
!?
こwれwはww
永井荷風大先生じゃございませんか!!
てか、ピントが後ろの本に合って顔がボケボケw失礼しました!
銭湯もよくできてるなぁ。特に内部がすごかった。
って・・ここにもいるし!何この「ウォーリーを探せ」みたいな展開w
当時のロック座はこんな感じだったのか。今と全然違うなぁ。
探すまでもなく・・はいいた。
荷風がロック座に入り浸ってたのは有名な話だけど、それは脚本家でもあったから。
それを知るまでは正直ただの助平親父だと思ってました(笑)
そうそう、こんな感じで楽屋でしっぽりと・・
これ見るとやっぱりただの助平親父にしか見えない
ちょっと長くなりそうなので2ページに分けます
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コメント
ここは、「町田忍」先生のプロデュースした博物館かな?
ご名答です!