ともにモチーフとして名曲を生み出した神田川と隅田川。その両者が出会う場所に架かるのが柳橋。この柳橋には、かつて江戸随一とも称された一大花街が近年まで存在していた。
名残はほとんど残っていないことを知りながらも足が向いたのは、その場所に立ってみたいと強く思ったからであろう。
個人的には、リアルな街より消えた街のほうが好きである。そこに立ち、あれこれと過去に思いをめぐらせることがシンプルに楽しいと思えるからだ。
柳橋は東京二大花街と呼ばれていた
惜しまれながら1月で閉店した小料理屋「伝丸」。数少ない柳橋花街の遺構である。
黒塀が美しい。
柳橋のたもとに立つビルに「料亭亀清楼」が入居する。江戸時代創業、花柳街の栄枯盛衰をすべて見てきた紛れもない当事者である。今も同じ場所で営業している唯一の料亭。
現在の柳橋は、関東大震災後に完成したもの。あと10年あまりで100年という、なかなか歴史を感じさせる橋。
なんか帳尻合わせ感が否めないんだけど、ちゃんと柳の木が傍らに立っておりました。
柳橋の花街は江戸時代中期に成立。目の前が隅田川という風流な景観で人気を博し、新橋と並び東京二大花街と称される規模にまで発展。
昭和初期が最盛期で、料理屋と待合で62軒、芸妓が366名と言うからいかに繁盛していたかがよくわかる。
時は流れ、1999年に料亭「いな垣」が廃業して柳橋花街はその長い長い歴史に終わりを告げることになる。その「いな垣」も2011年に解体され、今では隅田川を見下ろす無機質なタワーマンションが立っている。
当時の建物はまだぽつぽつ残っているというので、しばし付近を徘徊することにする。
お、あったあった。門が開いてるけど一見して空き家っぽい佇まい。
植物が成長しすぎてラピュタみたいになってるせいで全貌がまったくわからない。
でもきっと遺構だと思う。
総武線のガードそばにある石塚稲荷神社には「柳橋料理組合」と「柳橋藝妓組合」の文字。
玉垣を観察すると、「亀清」を発見。そのまま視線を左に移すと「稲がき」の文字も。たぶん全部料亭の名前でしょうね。なんせ数十軒はあったはずだから。
こんな位置関係。黄色い電車に乗ればもれなく車窓からお稲荷さんを眺めることができる。
この日もいつも通り『東京花街・粋な街』を見ながら歩いてたんだけど、地図上料亭があったとされる場所で見つけたこれ。うん、間違いなく遺構だ。
リノベ系のギャラリーとなっていたこの建物も関連物件だったのではないかと。
そんなわけで、なるほど実際ちょこちょこ残っていた。まぁ、元の数が多かったのでこれぐらいは残っててほしいところ。
すっかり変わってしまった町並み。風流な隅田川は堤防で見えず、スカイツリーの頭だけが申し訳程度に見えていた。
昔も今も変わらないのは、隅田川の流れだけであろう。柳橋花街は、今はもうない。
[訪問日:2016年4月9日]
コメント
リノベ系のギャラリーの建物、おそらく芸者歌手として知られた市丸さんの自宅跡だと思います。
晩年は柳橋にお住まいで、亡くなってからギャラリーになったと聞きました。
市丸姐さんなら名前だけは知っています。あそこがそうだったんですか~。