尾道と聞いて連想するものはやはりラーメンとしまなみ海道だと思う。
その昔、高速1,000円時代に走ったしまなみ海道。たどり着いた尾道はひどい雨だった。だから思い出と呼べるものはずっと「雨」と「ラーメン」しかなかった。
捲土重来を期すべく数年ぶりにやって来た尾道は、敗者の願いが通じたのか、今度はこれぞ瀬戸内と言うべき最高のコンディションに恵まれた。
尾道は海と山に囲まれているので坂が多く、また、古刹が多い。風情ある石畳の坂道を歩きながら古寺めぐりというのが尾道観光の定番になっている。
映画のロケ地としても有名で、近年では「映画の町」としてのPRも熱心に行っている。
そんな尾道には赤線跡を見に来た
「寺と坂と映画の町」というキャッチコピーを聞けば、数年前までであればまず観光マップ通りの行動をとったと思う。(以前は大の映画好きだった)
レトロな路地裏歩きも捨てがたかったけど、尾道には遊郭、赤線があったと聞いた時点で答えは出た。
『全国遊廓案内』には「尾ノ道市遊廓」で記載がある。貸座敷78軒、娼妓220人という、地方都市とは思えない数字がそこには記されていた。
まぁ、港町だし海上交通の要衝だし、昔はさぞ栄えていたのだろう。
うっかりしていて場所を伝えていなかった。
尾道市役所のすぐ北側、道路を挟んだ反対側が旧遊郭街。住所で言えば尾道市久保あたり。
昔は「新開(しんがい)」と言ったらしい。まぁ新開地ですしね。そのまんまです。
稲荷神社が残っていた。
転業アパートのような趣き。
尾道市内の地図を眺めると、国道2号線が旧遊郭街を避けるように山側を通っている。歴史的にどっちが先にあったのかよくわからないけど、これはちょっと興味深い。
さらに、旧遊郭街は赤線を経て現在も尾道屈指の盛り場になってるわけだけど、駅からだいぶ離れてる上に市役所のすぐそばといういかにもまちづくりの失敗例みたいになっているのも面白い。
歴史を知らぬ者にはさぞ奇異に映ることと思う。
いかにも妓楼でしたという建物の登場で、すでに聖域を侵してしまっていたことに気づいた。
尾道が歴史散歩の町なのは戦災を免れたというのが大きな理由になっていて、それ故この新開地区も戦前の色街の雰囲気がかなり色濃く残っていた。
78軒あったという妓楼の遺構も、そのほとんどが戦前から残るものであろう。赤線時代の名残も含め、正直ここまで濃密な町並みが残っているとはまったく予想だにしていなかった。
つまるところ、いい意味で大幅に期待を裏切られたのである。
そしてぐるぐると歩き回った
細い路地に密集する建物。期せずしてこの地に迷い込んだ通りすがりの者などは、あまりの非現実的光景にたじろぐことであろう。そこは文字通りの“常ならぬ世界”でしかなかった。
まだ路地が直線的だからマシだと言えるものの、狭いエリアにくり広げられるごちゃっとした街並みは迷路以外の何物でもなかった。どこをどう歩いてるのか途中から分からなくなり、同じところを幾度となくぐるぐる歩く羽目になってしまった。
これが瀬戸内の“ラビラント”か・・
実は計画の段階では尾道の赤線を歩く予定はなく、それ以前にノーマークだったので存在すら知らなかった。
途中で知って、たまたま通り道だったのでじゃあまぁ寄ってみようか、的なノリで来ることになったのが事の真相だったり。
あまり期待していなかったとは言え、今となっては無理して行程にねじ込んでよかったと切に思う。みすみす「Aランク」の色街を逃すところだった。
気がつけば「ネコ専用」かと見紛うような路地裏に立っていた。
この先はぬけられるのだろうか。
なんと!!
ぬけられた!!!
その先もまだワクワクするような路地が続いていた。
こんなに楽しい街は久しぶりだ。
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コメント
尾道に赤線跡があるとは、、、
知りませんでした。
行ってください(笑)