鉛色の空は、二日酔いの偏頭痛を思わせるほどにずっしりと重い。
昨夜から降り続いていた雨は、より一層激しさを増し容赦なくフロントガラスを叩いていた。
2017年8月某日。早朝。山口県周南市。
車が向かっていたのは「柳町」という、繁華街からも近い一角。
かつて赤線があった場所である。
視界はほとんど効かない上に、気分もまったく晴れない。
「徳山なんて次いつ来れるかわからんしなぁ…」
貧乏性な性格が仇となり、もう帰ろうかという思いを無理やり振り払うように現地へと赴くことになった。
戦災からの移転でできた色街
徳山駅から南東へ約1km。
ここ柳町に、色街ができたのは戦後のことである。
それまでは、駅の東側の栄町に才ノ森という遊郭があったそうだ。
それが戦災で焼けてしまい、現在の柳町に移転。
戦後、赤線時代の成立ということもあってかスナックじみた建物が多い。
今も昔も色街は色街という典型的な町並みだった。
周南市は、かつては徳山市だった。
新幹線の停車駅として認知されている徳山駅は、今も徳山駅である。
今ではコンビナートと工場夜景で有名な街だが、かつては海の要衝、戦時下には海軍の工廠があった。土地柄、遊里が必要とされたのは明白であろう。
遊郭が柳町に移転し、程なくして1958(昭和33)年の売春防止法を迎えることになる。
ほんの10年足らずという短い命だった。
それから60余年が経ち、飲み屋街へと姿を変えながら途切れることなく歴史を継いできた街。
男と女の幾多の物語を紡ぎながら。
雨は相変わらず降り続いていた。
まるで、悲恋の果てに逝った亡き人が流す涙雨のようだった。
こんな空模様の日に来なければいけないほどの見どころはなかったな、と結論づけようとしたそのときだった。
(;゚д゚)ァ….
当時のものと思われる木造建築が二棟健在だった。
それは紛れもなく遊郭時代の遺構だった。
雨に濡れ、不気味な妖しさを宿らせながらそこに立っていた。
何というグラマラスさなのだろうか。
そしてもう一軒。
いや、二軒か。
これだけ残っていれば往時を偲ぶには十分だろう。
使命から解放された色街。
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
淡い期待も虚しく、結局雨が止むことはなかった。
徳山での思い出は、きっと生涯雨だと思う。
鉛色の空。黒いアスファルト。
そして、天命を全うした色街。
人生は一期一会。
人との出会いがそうなら、街との出会いもきっとそうなのだろう。
いや、そうであってほしい。
そう願いながら、雨に煙るコンビナートの街に別れを告げた。
[訪問日:2017年8月16日]
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