京都五花街の歩き方『宮川町』

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京都五花街のひとつ、「宮川町」。

鴨川の東側、四条通の南側に位置する花街で、住所で言うと宮川筋二丁目から六丁目が範囲。
祇園と同じく、最寄りは京阪の祇園四条駅となる。

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宮川町の歴史

宮川町は江戸時代、宮川町通りが開通し、鴨川護岸の石積みが完成してから急速に開けた。
お茶屋の許可が下りたのは宝暦元年(1751)年。

元々は歌舞伎小屋と茶屋が立ち並ぶ街で、美少年による若衆歌舞伎が流行していた。
そして、10代の歌舞伎役者が「陰間(男娼のこと)」となって春を売っていたため幕府により禁止されることになる。

そういう発祥だからか、宮川町は元々遊郭だった。

茶屋として認可を受けたものの、宮川町は娼妓中心の遊里として発展。
昭和初期の『全国遊廓案内』によれば貸座敷151軒、娼妓は330人いたというから相当の規模だったことがわかる。

1958(昭和33)年の売春防止法完全施行によって遊郭としての歴史に終止符を打ち、芸妓・舞妓のみが在籍する花街となった。

そんなわけで、花街としての歴史は60年とまだ浅い宮川町。
そのためか、お茶屋も小ぎれいな新しい建物ばかりが目につく。

これがメインストリートの宮川町通。
車1.5台分ぐらいの幅に石畳が敷かれ、通り沿いにお茶屋が点々と建っている。

宮川町お茶屋組合。
なんだか普通に現代的な感じで、普通の民家かと見間違えるレベル。

ここの右側には歌舞練場がある。

宮川町の紋章は三つの輪が重なったデザイン。

これは、芸妓養成機関が府立になったとき、寺社、町家、花街の三者が合流して学校施設になったことに由来するんだとか。

いや・・数学の集合を表す「ベン図」にしか見えません(笑)

花街の規模については、祇園同様2009年のデータによると

芸妓73人(うち舞妓35人)、お茶屋36軒

芸妓数は祗園甲部に次いで多く、舞妓の比率は五花街で一番高い。

宮川町では、お茶屋が置屋を兼ねているという。

ということは、一階が座敷で二階が居住スペースなのだろうか。
これはこれで楽だろうけど、車で送迎されてきた芸妓さんにバッタリ会うとか、石畳をそぞろ歩く舞妓さんを見れるとか、そういうのがあったほうがいいなぁ…

えっと・・AとBとCの和集合だからここがこうなって・・

って違う違う!!!w

この日は松原通から入り、南から北へと歩いた。
距離にして350mぐらい。
松原通の南側にもお茶屋はあるので、実際の花街の範囲は南北500mぐらいになるだろうか。

ゆ~っくり歩いても10分ぐらいのちょうどいい距離。

五花街のうち、祗園甲部、祇園東、宮川町、先斗町は地理的に近いので歩くのが好きな方であれば一日ですべて回ることもできると思う。

筆者はこの日、祇園東 ⇒ 祗園甲部 ⇒ 石塀小路 ⇒ 二寧坂 ⇒ 産寧坂 ⇒ 宮川町と、振り返ってみたら結構な距離を歩いていた。
まぁ歩くの好きなんでね。これぐらいは余裕です。

路地裏も花街情緒満天。
これぞ京都だなぁって風情。

宮川町では4月の第1土曜から第3日曜まで「京おどり」が歌舞練場で上演される。
また、10月には「みずえ會」という秋のおどりもある。

京おどりは来年見に行こうかなぁと思っている。

しっとりとした街並みの花街、宮川町。祇園のような古めかしさはなく、どこか洗練された街並みではあるが、路地裏に漂う風情、情緒はやはり京の花街ならでは。

ここは観光客が少ないので歩きやすいですよ。

[訪問日:2017年6月23日]


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