泉都の色街、別府『浜脇遊郭跡』を歩く

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温泉の湧出量、源泉数ともに他者をまったく寄せ付けない圧倒的な強さで日本一に君臨する大分・別府温泉。
そんな温泉界の覇王とも言える別府には源泉でざっくりと分けた「別府八湯」というものがあり、その中でも最も南にある浜脇温泉は「別府発祥の地」と呼ばれる温泉郷だ。

で、別府の色街の中心がその浜脇温泉にあったというのでのこのことやって来たというのがこの日のあらまし。

再開発事業で誕生した「湯都ピア浜脇」を起点に適当に歩き出すと、いきなり妖しい建物が登場。

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つがいで残る元貸席

もう少し西へ行くと、浜脇遊郭の超有名な遺構、「旧 貸席ますや」が現れる。これを見に来たと言っても過言ではない建物。とりあえずまだあってよかった。

それにしてもなんちゅー毒々しい色だ…。原色のタイル張りはたまに見かけるけど、緑は初めてかも。目に優しいはずなのになぜかキツイ。

あまり耳慣れない貸席というのは、待合とほぼ同義なのだろうか。宴席をするような大きさにも見えないので、連れ込み宿に近い業態だったのでは、、と推測。

まぁ、このカフエーチックな外観は赤線時代に手直しされたものだろうと思うけども。

そして、ますやの右隣でいかつい存在感を放つのが「旧 貸席かしく」。二階が大広間のように見えるのでこっちはやや揚屋寄りか。

どっちも空き家になって久しい感じだったけど実にもったいない。こちとら有料でも中見たいって言うのに。

とは言え、よくよく見てみたら結構傷みが激しくて色々残念なことになっていた。

いつまでこの姿をとどめてくれるものか。見学希望者はお早めに。

目の前には朝見川という川が流れている。おそらくここが結界の役目を果たしていたことは想像に難くない。

「新町橋」という橋の名を見てそれは確信に変わった。
いわゆる思案橋の役目を担っていたのだろう。

あてどなく歩いてみると、大正期に建てられたモダン建築が顔を出す。
平尾さんという当時のリッチマンが私財を投じて建てた超豪邸らしい。なので遊郭とは無関係。

付近のまちなみ

歴史ある温泉地は町並みもかなり古めかしい。再開発事業が興るというのは裏を返せば寂れてまちに元気がないことの証左だ。

空き家となったあばら家物件や長屋、くたびれきった家屋に櫛の歯のように空き地が混ざり混沌とした風景を紡ぎ出している。

その上、こんな細い路地が手付かずで残っていて強烈な魔窟感を放っている。
やはり遊里はこうでなければ面白くない。

さながら九龍城のようなバラックも出てきたりして俄然楽しくなってくる。聞けば、別府にはこんな路地裏風景がたんまり残っているそうだ。

いや、普通に湯治を兼ねて1週間ぐらい滞在したいんですが。

浜脇遊郭は明治初期あたりから全国的に脚光を浴びるようになり、明治20年代から昭和初期まで常時200人を超える娼妓がいたと『遊郭をみる』には書かれている。

一体何をどうすればその頃の情景を思い浮かべることができるのだろうか。
大型ホテルや旅館すらない浜脇の街並みに、湯の町の栄枯盛衰を思った。

旅館と言う意味では、国道の朝日橋のすぐそばに「二幸荘」という転業旅館があって花魁等の和装に扮装できるサービスを売りにしていたのだが、すでに解体され新しい建物を建てている最中だった。

一応、ストリートビューではまだ在りし日の姿が確認できる。

旅館時代の看板が名残惜しそうに工事現場にひっそりと立てかけられていた。
もしかして建て替えだったのかな。いや、まさかな。

大層な賑わいで活気のあった遊興の地、浜脇。
その景色はずいぶんと様変わりしてしまい、二軒の元貸席の遺構たちは人通りの少ない街並みで完全に浮いた存在となっていた。

[訪問日:2017年12月29日]


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