追憶の亀甲マーケット ~消えた昭和の幻~

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JR南武線の鹿島田駅を出て東へ5分ほど歩くと国道409号線、いわゆる府中街道へぶつかる。
そこからもう2~3分ほど歩いた街道沿いに、昭和が残した幻のような景色がある。

いや、今となっては“あった”と言うほうが正しいだろう。

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至高のバラック・アート

抜けるような青空の下、朽ちかけた強烈なバラックが眼前に現れた。

「亀甲マーケット」

これぞ“川崎の原風景”と言える至極の昭和遺産である。

午前8時。すでに猛暑日を予感させるような陽光が燦々と降り注いでいるにも関わらず、暗すぎて内部がよく見えない。

冷やかしで来た一見を阻むかのような闇の深さに暑さとは違う汗が出そうになる。

意を決して中に入ると、「時が止まっている」などという陳腐な表現では形容できない光景が広がっていた。

あえて言う。間違いなく“磁場が歪んでいる”。

陽光を完全にシャットアウトしたマーケット内部は、まるで灯火管制のさなかにでもいるかのごとく真っ暗だった。

※Photoshopで全体的に明るく補正している

体内時計が狂い始め、平衡感覚さえおかしくなりそうな空気に支配されている。
もしかしてここは「精神と時の部屋」なのか。

これは・・分電盤だろうか。どう見てもラーメン屋の券売機にしか見えない。

店の屋号っぽい文字が書かれているが、「あぶら」とか「やさい」とか書いてあったほうがよほどしっくり来る。

奥へ抜けると明るい場所に出た。営業しているような居酒屋も一軒あった。

「防人」のごとくマーケットを守り続けて来た、最後の一人。会えてよかった。

夢と消えた幻

ここからは少し真面目な話をしたい。

この直後、亀甲マーケットは営業を終了。再開発により解体されることがすでに決まっていた。

年末頃に工事が始まり、年が明けてしばらくした頃、更地になったと聞いた。
この芸術的なバラックを目に焼き付けることは、もう二度と叶わない過去になってしまった。

しぶとく生き続けてきた昭和遺産にとって、「平成」の30年は忌むべき受難の時代だったに違いない。

「汚い」「危ない」と聞こえのいいもっともらしい理由で取り壊しに遭い、跡地には均質的で個性のない商業施設やマンションが建つ。

物事の本質を知らぬ一般人の耳には聞こえが良いのであろう「再開発」というものは、大手ゼネコンと鉄道会社、行政の癒着による商業主義、いわゆる金儲けに過ぎない。

都会を見ればよくわかるが、再開発とマンションの乱立によって人間関係の希薄化、急激な人口増加による鉄道の混雑や待機児童の増加、渋滞、大気汚染などが引き起こされ社会問題となっている。

同時に地域の特性、まちの個性は消え、どこに行っても同じような景色しか見られないようになった。

そんな時代に生き残った昭和の風景は、同時に「古き良きもの」と再確認され多くの愛好家を生み出し、彼らに癒やしと感動を与えてきた。

どこかの記事で書いた憶えがあるが筆者は昔川崎で、それも南武線沿線で働いていたことがあり、鹿島田は職場の飲み会で来たこともある街だったりする。

だから、現代の感覚で言えば駅前に“何もない”ことを知っていたし、もう二度と来ることはなかったかもしれない。

そんな人間にまた来るきっかけを与えてくれたのが、他ならぬこの「亀甲マーケット」である。

おわかりだろうか。これこそが“まちの個性”であり、人を惹き付ける力なのだ。
チェーン系のファーストフードや居酒屋では逆立ちしても真似できない。

航空写真を見ればよくわかるが、名の由来になったのは「八角形」の屋根。
これほど芸術性に富んだ唯一無二の意匠、“アート”と呼んだ所以である。

跡地に何が建つのか知らないが、おおかた没個性的なマンションか何かであろう。

昭和が生んだ稀代のバラックマーケットは、まるで平成の手によって道連れにされるかのように無に帰した。
やがて、人々の記憶からも忘れられてしまうに違いない。
悲しい話である。

さらば、亀甲マーケット。

[訪問日:2018年8月25日]


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