いつ行っても狂気じみた混雑を見せる京都市内において、桜も紅葉も関係なく常に人が多い嵐山エリア。
そりゃね、確かに渡月橋も竹林の小径も素晴らしいし、世界遺産の天龍寺もあるし、行きたい気持ちはよくわかる。
猿と触れ合いたい人だっているだろう。
しかしながら、人混みが生理的に無理な人だって一定数いるわけである。
今日はそんな人たちに届けたい朗報・・嵐山の真空地帯「嵯峨鳥居本(とりいもと)」を紹介しよう。
と言っても、阪急の嵐山駅からだと軽く30分は歩くので、歩きやすい靴とそれなりの覚悟を持ってお出かけください(* ̄∇ ̄*)
あ、一応バスも出てますが。
愛宕神社の門前町
この嵯峨鳥居本という地区は、1979年に「門前町」として重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選ばれたエリア。
何の門前町かと言うと、愛宕山の山頂に祀られた「愛宕神社」。全国約900ある愛宕神社の総本社である。
常寂光寺や二尊院からさらに奥へ進むと、茶色いポストが設置された三叉路へと至る。
ここから先が保存地区、嵯峨鳥居本の町並みである。
古くは「化野(あだしの)」と呼ばれていたところで、京の人々を埋葬したひどく曰くの付いた土地である。
しかも、昔の庶民は土葬ではなく風葬、つまり野ざらし状態だったというからなおのこと怖さを感じる。
そんなおどろおどろしい歴史を秘めた嵯峨鳥居本も、今ではすっかり小ぎれいな町並み。
嵯峨鳥居本の歴史
室町時代に農村集落として開かれたのがはじまりとされ、門前町となったのは江戸時代中期。
両方の性格を併せ持って発展してきた歴史があり、農家や町家、茶屋が混在するハイブリッドな町並みを見ることができる。
人で言うと二重人格なAB型ってところでしょうか。
建物の多くが江戸末期から明治に建てられたもので、格子のある虫籠造りの町家が多い。
そしてとにかく人が少なかった。
2月のくそ寒い日だったからというのもでかいかもしれないけど、予想を大幅に裏切られてこの上なく散策が捗った。
何にせよ、写真が撮りやすいのが一番よかった。
石畳と古い町家が織りなす風情がどこまでも心地よい。
保存地区の中ほどにある化野念仏寺を堺に「上地区」「下地区」と呼び名が変わり、まちの性格もがらっと変わる。
下地区は今まで見てきたとおり桟瓦葺屋根の町家が多い。
続いて上地区を見て行こう。
上地区の町並み
この茅葺き屋根の農家っぽい建物が見えたら、ここから先が上地区。
農村時代の名残なのか、“上側”には茅葺屋根の農家が比較的よく目につく。
急に過去にタイムスリップしたような雰囲気。そしてこの辺りから気のせいじゃなく体感温度が下がり、いきなり雪が降ってきた。
雪が降ることが「平常運転」の京都の中でも嵐山がさらに寒いことはわかっていた。けどさすがにこれは予想外の寒さだ。
親のカタキのように雪が降ってきて、もはやまち歩きどころではなくなってきた。
これが一見を拒む文化が根づく京都のやり方なのか…。
容赦ない洗礼を受けながらなんとかたどり着いたのが、愛宕神社の一の鳥居。
ここが保存地区の終点である。
その前には、江戸時代から続く老舗料亭「つたや」がある。
かつては愛宕詣の門前茶屋で、今は『鮎の宿つたや』。名の通り鮎料理の名店として知られる。
そして、鳥居の先には今でも茶屋として営業する「平野屋」さん。
こちらは「鮎茶屋」の異名を取る。このあたりは鮎が名物なのだと言う。
創業400年。苔むした屋根が歴史の重さを感じさせる。
さて、門前町を歩いて鳥居が出てきたが、実は愛宕神社まではまだまだ距離がある。
ここから歩いたらおそらく3時間ぐらいは余裕でかかる。
というわけで・・
愛宕山に登ってきました
つい1週間ほど前の話。
今年は、趣味としてすっかり存在感の薄くなった登山を強化しており、そんなこんなで4峰目となる愛宕山に登ってきた。
「火伏せ」の神、つまりは火に関する災難除けとしてご利益があり、飲食店を経営するような人にはよく知られた神社であろう。
標高924mの山頂に愛宕神社があり、往復4時間とまぁまぁよく歩かされた。
関西でいうと六甲山と同じぐらい標高があり、結構高い部類に入る。
江戸時代から親しまれた愛宕詣。今でもそれは変わらないようで、六甲ほどじゃないけどかなり登山者が多かった。
登りやすい山なので、我こそはと言う足に自信のある人は嵯峨鳥居本からオール徒歩で頂を目指してみるのもいいかもしれない。
[訪問日:2018年2月17日]
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