京都・巨椋池の名残を訪ねて「東一口」…え?これなんて読むんですか?

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歴史ってつくづく面白い。

京都と滋賀をつなぐ京滋バイパスの久御山JCTあたりに、広大な田園地帯が広がっている。
ちょうどイオンモール久御山のあるあたりだと言えばおわかりの方もいるだろうか。

このアホみたいに広く場違いな土地には、かつて「巨椋池(おぐらいけ)」という超巨大な池があった。

今で言う巨椋ICをほぼ中心として、東西4km、南北3km、周囲16km。航空写真で水田になっているところが、干拓された巨椋池の名残である。

その久御山JCTの北西に「東一口」という集落があり、古い町並みが残っていると言うので中書島駅からバスに乗って見に行ってきた。

 

さて、答え合わせをしよう。読めただろうか?

 

ひ が し い も あ ら い

 

…読めるわけねーだろこんなの(怒)

この難読っぷりはさすがにちょっと怒っていいレベル。

 

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巨椋池の歴史

秀吉は天下統一を果たした後、伏見城を築城した。
その際、宇治川を伏見城下に迂回させ、巨椋池の各所に堤防を築いた。

地図で見るとよくわかるが、宇治川は伏見方面へ向かってあり得ない蛇行のしかたをしている。実はこれは秀吉の仕業である。

これにより、巨椋池と周囲の河川を分断させ、この「一口」地区が池と宇治川の唯一の流出点となった。

漁業集落

そんな地理的なアドバンテージにより、東一口は巨椋池の独占漁業権を得て発展していく。(独占漁業権を得たのはほかに2地域あった)

とまぁそんな歴史があるもんだから、何も知らずに来るとただもうビックリするようなこんな古い町家がしれっと残っていたりする。

付近はほとんど田んぼで家すらまばらなのに。

集落の南北に、かつての排水路だった前川、古川という二本の川が流れている。
東一口は、川に挟まれた長さ1km、幅100mほどの細長い集落である。

そんな田んぼと川しかないエリアに、突如土蔵や古い商家風の屋敷、いかにも金持ちが住んでそうな豪邸がばんばん建ってるもんだから「え?え?なんなのここ!」ってなるわけである。

何なのも何も、イモアライですが何か?

 

ちなみに、昔は普通に「芋洗」だったそうで。

なぜわざわざややこしい方向に変えたのか・・

 

巨椋池はその後どうなったかと言うと、明治時代頃から水質悪化が深刻化し、漁獲量も減ったことから干拓が決定。

昭和8年から16年にかけて干拓が行われ、めでたく農地に生まれ変わった。

そんな夢物語のような壮大なストーリーがこの地にはあった。
どこか神秘的でさえある。

山田家

その漁業権の総帥として君臨し、江戸時代には大庄屋だったと言う山田家の屋敷が集落の中央付近にでーんと建っている。
長屋門から醸し出される重厚感に圧倒されそうになる。

東西十五間。奥行き二間半。

三間の扉は総欅。ちなみに国の登録有形文化財。

いかにこの集落が漁業で繁栄したかを物語る貴重な遺構と言える。
ちなみに、主屋の規模はこれでも当時の3分の1と言うからどんだけ金持ちだったんだよという話である。

 

山田家の一般公開は毎月第1木曜日、第2土曜日、第3日曜日、それも午前中のみと文字通りワンチャンとなっているので注意されたい。

入館料は200円だそうだ。

集落を歩くと、入り組んだ狭い路地や石段を見ることができ、いかにも古い漁村さながらの雰囲気を感じることができる。

石段からは、川と巨椋池に面した中洲のような場所だった名残が見て取れる。

ご覧のとおり、蔵を持つ屋敷も多い。

細い路地は、まるで瀬戸内の島々で見られる漁村のような風情がある。

 

集落の中央を貫くメインストリートは、10~15分ほどあれば端から端まで歩けるぐらいの長さ。まち歩きには適度な距離だと思う。

ただ、近くに駅がまったくなく、集落には観光客向けの駐車場などもないのでイオンモールから歩いていくのがよいと思う。
東一口の集落まで10~15分ぐらいで行くことができる。

イオンモールへは、京阪中書島駅、近鉄大久保駅、JRの松井山手駅からバスが出ているので比較的アクセスはしやすい。

東一口は観光色は皆無なので、買い物ついでにちょっと散策、ぐらいの温度感でちょうどよい気がする。

歴史好きな方は是非。

[訪問日:2018年2月18日]


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