名残がないことははじめからわかっていたのであまり気乗りはしなかったものの、通り道ならまぁいいかとおまけ程度の気持ちで寄ってみることにした。
北九州市の戸畑区。
世界遺産になったことが記憶に新しい官営・八幡製鐵所を核とした北九州工業地帯。日本の産業近代化に貢献し、同時に北九州は工業都市としての確固たる地位を築いた。
昔はそれこそ“男の町”という表現がふさわしいほど、工場や港湾関係等の労働者が多かったのだろう。
駅を出ると目の前には艶やかな赤が目を引く若戸大橋が見える。
今ではただの住宅街
若戸大橋の真下にある渡船場へ向かう道すがらに戸畑の赤線は存在した。
メインストリートを外した一本西側の路地に僅かながらその名残を認めることができる。
かつて高名なカフエー建築が立っていたその場所で見たのは、何とも平成らしい凡庸な景色だった。
変わらないのはあの赤い橋だけであろう。
戸畑の赤線は戦後形成されたいわゆるカフェー街。
現在の銀座1丁目~2丁目(旧町名は築地町)あたりにかけ、93軒379名とおびただしい数の特飲店があったそうだ。(『全国女性街ガイド』)
もし立地が駅前でなければ、今でも立派なカフエー建築のひとつやふたつぐらい残っていたかもしれない。
どことなく転業アパートのような雰囲気。玄関回りに豆タイルがあった。
これもそんな感じ。
しかしながら、目を引いたものはこの程度だった。
あとは駅前通りにある「藤之家旅館」さん。
すごい・・タイルだらけ。
もう少し寄せてみましょう。
これも赤線時代の名残なのかな・・
ですよね、たぶん。
もう一軒、見逃してしまったんだけどこの裏手に「いくよ旅館」という古い和風の旅館が残っている。
せっかくなので、ついでに対岸、若松の町並みも見ていくことにした。
片道3分の若戸渡船。わずか100円でちょっとした船旅気分を味わうことができるので戸畑に来たら是非とも乗ることをオススメしたい。
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コメント
20年程前まで若松に住んでいました。最近全然行けないので、懐かしい風景、ありがとうございます。若松の家から若戸渡船に乗って小倉にある学校に通学していました。
祖母が「連歌町の辺りは遊郭があった所だから、今だに遊女の霊がいて、特に若い女は祟られたりするから近づくな」などと、よく申しておりました。でも、あの辺りは大きなスーパー(今は潰れました)があったり、便利なので、気にせず行ってました。私は0感なので、何もありませんでした。まあ、炭鉱で栄えた街ですので、元気な若いお兄さんが沢山、遊郭の需要は相当にあったんでしょうね。若松の栄えた頃の様子は、ご興味があれば火野葦平「花と龍」をお読み下さい。
若松は寂れ行くばかりの街ですが、このようにご紹介くださる方がいらっしゃると嬉しいです。
心温まるコメントありがとうございます。大変嬉しく思います。
実は私の身内があの辺りの出身でして、個人的には縁もゆかりもないのですがなんとなく思い入れのある土地なのです。
連歌町のエピソードはとても興味深いお話です。お祖母様の時代は若松がとても栄えていた頃だったのですね。
本まで教えていただき恐縮です。若松にはまた足を運びたいと考えているので、その前に是非読んでみたいと思います。