田んぼの真ん中にあった慰安所 小岩・東京パレス

東京都
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戦後、江戸川区の小岩に前衛的すぎる赤線が誕生した。終戦の年、昭和20年11月のことである。
その名は東京パレス。
いわゆる進駐軍向けの慰安所、RAA施設として開業したそこは、作家坂口安吾のエッセイ「田園ハレム」に詳しく描写されている他、記録映画『赤線』で当時の貴重な映像を見ることができる。

東京パレスは、総武本線の小岩駅から南へ約1.5km、千葉街道と新中川が出会う「二枚橋」交差点のたもとにあった。

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交差点を過ぎると小岩大橋が架かる。一見騙されそうになるが、新中川に架かる橋が二枚橋ではない。
かつて東井堀という用水路が区内を南北に流れており、そこに架かるのが今はなき二枚橋であった。

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この日は梅雨の中休みという表現がしっくりくるような好天。吹き抜ける風が容赦なく気分を高揚させてくれる。

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さすがに江戸川区まで来ればスカイツリーもいまいちしょぼく見える。電柱と大差ない。いや、それはちょっと言い過ぎか。

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前置きはこれぐらいにして本題に入りましょうかね。ここが二枚橋交差点。先述した東井堀は向かって左から右に流れていた。

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交差点には埋没するかのように古びたスナックが今も一軒残る。東京パレスを訪れた嫖客もここで一杯飲んでから戦地へ赴いたのだろうか。

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時計工場の女子寮だった

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今では二枚橋跡の碑だけが残る。

東京パレスは、元々は精工舎という時計工場の女子寮であったが、被災した亀戸の業者の一部がこれを改装して慰安所としてオープンした。用水路が流れていたことからもわかるように、一帯はカエルがゲロゲロ鳴く田園地帯だったという。駅からも地味に遠いし、赤線としてはなかなかありえないロケーション。

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元“ハレム”は、今では郵政公社の社員寮となっている。

つい60年ほど前、ここには赤、黄、青、水色、ピンクで塗られた5棟の二階建てとダンスホールのある広い講堂が確かにあったのだ。
ダンスホールでは、イブニングドレスを着た女たちがダンスに興じていて、男は見物料50円を払い、気になる相手がいれば10枚150円のチケットを買って相手の部屋に行くというセンセーショナルなシステムであったようだ。

最盛期で300人。しかも、銀座のダンサーにも劣らないほど揃いも揃って美人だったと「田園ハレム」にはそう描写されている。

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ダンスホールと5棟のハレムの間には飲食店が5~6軒あり、理髪店まであったようだ。
“宿舎”は、大きな部屋を分割して一人あたり2畳半程度の部屋が与えられ、例えば端の部屋だと窓が5分の1くらいしかかからないとか色々カオスな問題を抱えていたらしいが、「ここの恋人たちは、甚だ健全で、礼節正しいのである」と同書では結ばれている。

確かにドレスを着て踊らなければいけないあたり、腕っ節の強い粗野な女などは比較的少なかったのではないかと思う。

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何も遺ってないのでいまいち消化不良な感が否めないが、紹介できるネタはだいたいこんなところである。
公舎の裏側で赤い鳥居を見つけたので脊髄反射的にシャッターを切ったが、よく考えてみたらここは遊郭じゃないから無関係だな。
興味のある方は是非「田園ハレム」をご一読ください。

Kindle版は無料なので、スマートフォンをお持ちの方はKindleアプリを入れればタダで読めますよ。

[訪問日:2014年6月29日]

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