以前、北九州の黒崎城址でたまたま会話を交わした地元のおっちゃんが、こんなことを言ってまち(黒崎)の衰退を嘆いていた。
「みんなのおがたのイオンモールとか、郊外のほうに買い物に行っちゃうんだよ」
ドーナツ化現象。
隣接する直方市は、北九州のベッドタウンだ。
直方の人は北九州に働きに来る。
北九州の人は直方に買い物に行く。
皮肉な話である。
こんなことがあって、名前だけはよく知っていた直方市は、石炭産業で栄えたやはり炭鉱のまちである。
交通の要衝だったこともあり、筑豊エリアの商業の中心だった直方には、「二字町(にじまち)」という筑豊随一の遊郭があった。
大門の門柱が残る
「遊廓」の文字が見て取れる、立派な大門の門柱が残っている。
二字町は、明治41(1908)年に公許として誕生した格式高い遊里である。
直方駅から見て南方、台地のような場所にあった。
大正から昭和初期の全盛時には妓楼十六軒に二百人以上の女性がいた(『赤線跡を歩く2』)そうだ。
二字町遊郭メインストリート。
左手に見えるのが、唯一残る当時の建物である。
全体的に手を加えていそうではあるものの、雰囲気だけは今でも色濃く残っている。
アパートになっていると言う情報が散見されたが、見たところそんな感じはしなかった。おそらくそれももう、過去の話なのだろう。
なんせ単純計算で十人以上抱えていたぐらいなのだ。ここの妓楼はどれもが大柄だったそうだが、裏手に回ってみてそれがよくわかった。
※こちらの建物、2023年の夏頃に売りに出されていてネット上で盛り上がってましたがその後どうなったかは不明です
それ以外はもう、すべてがきれいさっぱり一掃されて名残の「な」の字もなかった。
突き当たりがため池になっていて、行き止まりになっている。
奥まった場所には馬鹿でかい空き地があった。
燈籠のようなものが不自然に立っているところを見ると、かつてはここにも巨大な妓楼があったのだろう。
ため池側(西)からメインストリートを撮影。
確かに不自然と言われればそうかもしれない。
そんな、目抜き通りの幅員だけが往時を物語る、夢の跡。
覚めた夢は、起きたらだいたい忘れてしまうものだ。すでに輪郭はぼやけ、ここで見たものは手で掬うことも覚束ない不確かな風景でしかなかった。
“風光絶佳”と評された、筑豊随一の二字町遊郭。
名残が失われたとしても、それだけは永世変わることはなさそうであった。
この地で青春を空費した男たちもまた、同じようにここからの景色を愛でたのだろう。
そんなことを考えながら、踵を返して歩き出した。
[訪問日:2018年12月30日]
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