「玉の井」という地名は今では存在しない。昭和の初めごろ、寺島町(東京市向島区)に組み込まれてその名は消滅し、東武線の玉ノ井駅も1987年(昭和62年)に東向島駅に改称してしまい、今では駅名標に小さく「旧玉ノ井」と残るだけである。
あてどなく散策を続けると、ようやくカフェー街であった頃のもっともわかりやすい名残と出会った。
やはりタイル張りこそがキングオブカフェー建築と言える。
ラビラントの系譜
カフェー街は狭い路地が入り組んでいるため見通しが悪く、これと言った目印もないのでくまなく歩くにはローラー作戦よろしくひたすら歩き回るしかない。
土地鑑がないので仕方ないが、何度も同じ道を歩いたり、気がついたら思っていた方角とずれていたり、『迷宮』は訪れ人に容赦なく牙を向いてきた。
筆者は方向感覚だけは人より長けている自信があるのだが、脳内マップとここまでズレが生じたまち歩きは今までちょっと記憶に無い。焦燥感が汗のようにじわりと湧いてくる。
おそらく何か古い建物が建っていたのだろう。古い街を歩くとしばしば目にする光景ではあるが、昭和の幻景がまたひとつ消えた、と嘆息が漏れる。
(´・ω・`)
↑だいたいこんな顔だと思っていただければ間違いはない
下町の路地には猫がよく似合う。というか、元色街だった場所にはなぜか猫が多いという法則がある。
七不思議である。
経験で培われたアンテナが何モノかを捉え、吸い込まれるようにさらに細い路地へ足を踏み入れた。気のせいではなく、取り巻く瘴気が濃くなってきたと感じたまさにその瞬間。
惚れ惚れするような遺構が突如目の前に現れたのである。
玉の井。何という街であろうか。
地図に載っている路地だけをくまなく歩いても決してたどり着くことはできなかった。
この日見た遺構の中では、文句なしで断トツの完成度。まだ残っていてくれたことに感謝である。
映画でしか観たことのない娼家の内部。壁一枚隔てたところに、すぐ手が届くところに願う対象があるにも関わらず、その願いは決して叶うことはない。そこには距離では超えることのできない隔たりがある。
そう言えば歩きまわっている最中、つと、とある民家の二階で喜寿にも達していそうな老婆がこちらを見入っている視線に気がついた。
町の歴史を見てきた生き証人は、それを知ろうと歩くよそ者に対して一体どういった種類の感情を抱くのだろうか。
扉の意匠が赤線時代を彷彿とさせる、スナックプリンス。今歩いている通りが、カフェー街で目抜き通りだったと言われている通りである。
迷宮と称された戦前のほうの私娼窟には「ぬけられます」「ちかみち」などの看板が立てられていたという有名な話があるが、その時代を想起させるような細い裏路地が戦後玉の井でも見られた。
庇のアールが特徴的なカフェー建築。本当に玉の井には遺構が多い。
せっかくなのでアップで一枚。
あれ、もしかしてタイル張りの円柱があったんじゃ。しもた屋になってから塗り直したような感じがするな。なんとなく。
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