関東大震災後に誕生した戦前の玉の井銘酒屋街は、最盛期で娼家約500軒、娼婦1000人の規模まで発展した。
戦後、焼け残ったいろは通りの北側で営業を始めたカフェー街は、赤線の灯が消える直前の昭和30年頃に約120軒、345人で最盛期を迎えている。
往時の遺構も数を減らしつつある
『赤線跡を歩く』にはめ殺しの窓枠と紹介されているお宅はまだ健在だった。
バルコニーにもカフェー建築の特徴がよく現れている。2ページ目の最後で紹介した物件とどことなく似通っているが、周辺にはこのような建物がいくつか見られる。
屋号がそのまま残る遺構。右側には袖看板がついていたと思われる枠。
前頁で目抜き通りと紹介した路地。この広めのメインストリートでさえ、車がすれ違うのはほぼ不可能と言える幅。
ここから垂直に伸びる脇道はもっと細い。それが縦横無尽に張り巡らされ、家々が密集しているのだから方向感覚を失うのも無理はない。(言い訳)
探していた遺構は最近解体されたようで、新築が建ったばかりだった。
ま た こ の パ タ ー ン か よ
この美容院も明らかに転業組と言える佇まい。紫に塗り直した壁が個性を放ちまくっている。
付近で見かけたポストにも、元色街であることを示唆するような装飾が施されていた。でもなぜか「使用禁止」と書かれている。
改装したと思われる個人宅。上半分だけそのまま残したのか、外観が非常に素敵である。
元カフェー街にカフェって何の洒落だろうかw
いろは通りにある玉ノ井カフェ。ストリートビューで見たら洋品店だったので、外観はそのままでお店が入れ替わったのでしょう。
まち歩きで疲れた際は是非ご利用ください。
同じくいろは通り。目の前に交番があり、道がY字になっている。旧カフェー街へはここを左へ入って行けばたどり着ける。
少し前後するが、玉の井へは通常は東向島駅から向かうことになると思う。駅前からガード沿いを北上すると肉屋が現れる。ここがいろは通りで、右折すると先の交番が見えてくる。
最後に。赤線跡を歩くには「重厚なバルコニーが角地に張り出した」と紹介されている、玉の井のイメージキャラクター(?)とも言える立派なカフェー建築があった場所は普通の個人宅に建て替わっていた。
もうないことをわかっていながら、どうしてもその場所に立ってみたかったので背景を元に歩きまわって探し当てたのだ。
これで今日はもう満足した。帰ろう。
おまけ。鐘ヶ淵駅に戻る途中に見かけた看板。
ったくなんだかなぁ、ユーモラスに「この先車両はぬけられません」って書いとけばよかったのに、と思った。
おしまい。
[訪問日:2014年7月6日]
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