緊急事態宣言が発令されてからはや1ヶ月あまり。
楽しみにしていたGWの旅行がめでたくキャンセルとなったばかりか、最後にまち歩きをしたのが約3ヶ月前と当ブログにとっても異常事態が続いている昨今。
ならば、外出できない今のうちに記事を量産して未公開ネタを減らしてやろうふははは・・と目論むも、3月以降仕事がアホみたいに忙しくなって休日出勤のオンパレード、過労死ラインに迫る勢いの労働を強いられて「人生うまくいかんなぁ…」と日々ボロ雑巾のようになりながら嘆いてる今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
まぁそんな近況なんですが、ようやく去年のGWの話に着手できることになりまして・・
長野へ行ってきました
実はGWは長野に行く予定だったんですが、そう言えば去年のGWも長野に行ったんですよ。
大阪の“河内長野”ってところに(笑)
なんでも、駅の近くに「長野新地」とか言う色街があると聞いたので、じゃあどんなところか見に行ってみようとなったのがことの発端。
駅から一番近いコインパーキングにクルマを停め、“駅裏”にあたる東口からとぼとぼと歩き出した。
「料理旅館 八重別館」と書かれたアーチをくぐりゆるい坂道を下ると、黄金橋なる橋が架かる。
川の名は“石川”というそうだ。
橋の先の丁字路を右手に折れると、その八重別館があった。
なかなか趣のある旅館だ。しかも現役っぽい。これは泊まってみたい。
そして、その八重別館の目の前に建つのが『和風すなっく古都』と書かれたこの業界では実に著名な建物である。
漂うオーラがその辺の建物とはまるで違う・・
電柱には「遊園地」の文字。
どうもこれは、明治41年にこの地にできた「長野遊園」の名残らしい。運動場や余興場を備えた公園だったそうで、今で言うところの『○○憩いの森』的な市民公園に近い感じだったのではないかと思う。
そこは温泉だった
長野遊園ができる2年前。この地に「極楽寺温泉」なる温泉が開業した。
温泉旅館が立ち並び大層繁盛したそうだが、寺の意向で大正初期には閉業。
その後、経緯は不明だが、昭和初期にカフェ歓楽街が設置されたそうだ。
これがその後の長野新地の起源ということになるらしい。
件の建物に近づいてみた。
艶っぽい丸窓。実に良い。
長野新地は戦後は青線として、防止法以降は料理屋(たぶん料理旅館だと思う)として継続。と言ってもただの料理屋ではなく、その手の商売はしばらくは行われていたと言う。
今はもう歓楽街があったなんてことは過去の話で、八重別館とこの建物だけが歴史を語っているに過ぎない。
で、この建物は何かと言うと「三陽荘(みはるそう)」と言う温泉旅館のなれの果て。
和風すなっく古都は、旅館に併設してたのか一部だったのか、おおかたそんなところだったのではないかと。
崖上に伸びる階段に沿って、懸崖造の純和風建築がそびえ立つ。しかも廃墟。
こんな最高にエモーショナルな光景をまさか大阪で拝むことができるとは思わなかった。
いつからこの状態なのか見当もつかないが、今にも崩れそうな感じではない。
ちなみにこの温泉は「長野温泉」と言って、極楽寺温泉がなくなって放置されていた源泉を使って1960(昭和35)年に開業した比較的新しい温泉。
年代だけ追ってみると、イマイチピンとこないけど以下の感じになるのかな。
極楽寺温泉開業 ⇒ 長野遊園完成 ⇒ 極楽寺温泉閉業 ⇒ 長野新地開設 ⇒ 戦後は青線へ ⇒ 売春防止法 ⇒ 長野温泉開業 ⇒ 長野温泉衰退 ⇒ イマココ
温泉街と深い関係のあった歓楽街かと思いきや・・
温泉がなかった時期に成立、発展したってことになるのか。なんか不思議な感じだ。
建物的にはまだ60年ぐらい。どうりでそんなにボロボロではないわけだ。
駅徒歩5分。最高の立地なんだけどな・・
再開発とは無縁そうだし、まぁまだしばらくは大丈夫でしょう。
知らんけど。
しかしなぁ。こんな駅から近い温泉街でもこうなるのか。
しかも河内長野って南海と近鉄のターミナル駅でこのエリアではそこそこでかいまちなんだけどな。
やっぱり色街的な要素があったのがいけなかったのか。
負の象徴としてつぶされる運命にあった・・
この建物、ずいぶん前からこの状況らしく、やはり大阪だけあって過去に何人もの先輩方が訪問、ブログ等で発信してる超有名物件。
なんで、当記事の役目は完全に現状確認です。
とりあえずまだありました。(一年前だけど)
階段を上りきったあと、さらに坂道を登った先には河内長野荘という温泉旅館。
Wikipediaの長野温泉に以下記載があるので・・
温泉街として栄えたのは、この時期を最後に現在まで衰退の一途をたどっている。当時の多くの温泉旅館は廃業し、住宅街に形を変えたりしたが、現在は「おばな旅館」や「八重別館」など一部旅館が残っているほか、温泉旅館としては河内長野荘が経営を続けている。
唯一の、長野温泉の生き残りということになるらしい。
八重別館、天然温泉じゃなかったんだ・・
“色街”っぽい雰囲気こそあれど、付近は完全な住宅街。
温泉街の風情や名残もあまり感じられなかったし、三陽荘の存在感だけが強烈に余韻に残る長野新地散策だった。
見学希望者は、お早めにどうぞ。
[訪問日:2019年5月6日]
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