見どころが多すぎて3ページ目に突入してしまった尾鷲探訪記。
その探訪も、いよいよクライマックスを迎えることに。
どこをどう切り取っても絵になる懐かしい町並み。
現役のカフェ。
少し休んでいこうか悩んだけど、話し込んで長居してしまいそうな予感がしたので先を急ぐことにした。
うっすら「うどん」「丼物」「おでん」と書かれているところを見ると元飲食店だったようだ。
店名と思われる達筆な屋号が残っていた。
実はこのとき、少し焦り始めていた。
こんな尾鷲くんだりまでやって来たのは実はちゃんとした目的があったのだ。
どうしても見たい建物があり、それをまだ見つけられていなかった。
ストリートビューでの事前リサーチでも発見することができず、まぁ現地に行けばなんとかなるだろうと半分高をくくっていたのである。
ふと先を見ると、この建物の脇に、Googleマップには存在しない路地が伸びていた。
何気なく足を踏み入れ、おもむろに振り返った・・
あった。
CAFE SATSUKI
時が止まったような不思議な感覚だった。
今この世界には、自分とこの建物しか存在していないのではないか。
そう錯覚するほど、目の前のそれには現実感がぽっかりと欠けていた。
建物と対峙してこんな感情を抱いたのは初めてのことかもしれない。
これまであまたの遊郭・赤線跡を訪ね歩き、それこそ鈍器で殴られたような衝撃を受けた妓楼やカフエー建築は数え切れないほどあった。
だがほんの5m先に立つそれは、紛れもなくそれらの記憶を粉々にするほどの力を秘めた、まるで“尖った刃物”のようだった。
これほどに美しく、そして恐ろしい建物に、こんな三重の片田舎のまちで出会う。
これこそがまち歩きの奥深さであり、同時に怖さであることをこのとき知った。
願わくば・・ひと目でいい。
閉ざされた扉の内側に広がる小宇宙を、この目で・・
悲痛な願いは誰かに届くこともなく、湿った漁村の風にかき消された。
珍妙な訪問者の一部始終には、目撃者がいたようだ。
急に現実に引き戻された気がした。
しかし目的は達成した。
そろそろ帰るか。
この場を離れるのが名残惜しく、何度も何度も振り返ってしまった。
このとき、見返り柳で振り返る遊客の心の機微を完全にマスターした気がした。
あれはこういうことだったのか。
しつこく振り返る…。
この構図が場所探しの手がかりになれば。
濃密な時間だった。
ふわふわした気分でもと来た道を引き返した。
知らない街を歩く楽しさを、改めて再確認できた尾鷲探訪だった。
今年はこんな状況なのでまち歩きもロクにできないけど、去年相当歩いた貯金のおかげでこうして記事も書けてるし、逆に忙しいからこれ以上未公開ネタを増やしたくないって思いもあってうまくバランス取れてるのかもなぁ、と思ったり。
たぶん秋頃まではこんなペースが続くと思いますが、鮮度のない記事に対しても温かい目で見守っていただければ…。
純喫茶界隈では有名な「磯」。
内装に度肝を抜かれること必至です。
尾鷲を訪れた際は是非。
おしまい
[訪問日:2019年5月5日]
コメント
こんにちは
実家の町を記事にして頂いて有難うございます(^^)通学路なので懐かしく思いました。子供の頃は、狭い町なのにパチンコ屋さんや銭湯がたくさんありました。
カフエのサツキの近くに、連れ込み宿がアーチ上に立ち並んでいて雰囲気あります。今でも実家に帰ると写真に撮って頂いたスナックで飲んでいます笑
意外とその辺のお店、シャッター街に見えますが夜やってるんです。
遊郭は説明しにくいのですが、商店街の隣の道にありました。建物は残ってませんが…その他にも商店街をおりて海に近づくと馬越屋という大きい遊郭の建物が残っています。
実は天満という町が女郎屋やったと祖母から聞いていて、調べたのですがわかりませんでした。
私も遊郭のある町で育ったので、子供の頃からその町の雰囲気が気になり、今でもいろんな町の遊郭を歩いています。
ブログ応援しています。
こんにちは。
地元の方からの貴重なお話、大変ありがたく思います。
今思い出しても尾鷲の散策は感慨深いものでした。
昔はさぞ栄えたのだろうなと思わせる町並みに、遊里の痕跡が渾然一体となった趣きがありながらも何か不思議な雰囲気でした。
遊郭の情報はWebや書籍などの有名な媒体では皆無に等しく、現地の古老に訊くか図書館に行かないとわからないような感じでこれもまちの付加価値を高めている気がします。
同じようなことをされている方には自然と親近感が湧いてきます^^
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