遊郭があった漁村。三重・引本浦を歩く

三重県
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青空の下、その巨大な構造物はひときわ異彩を放っていた。

どんな使命を与えられてこの場所に生を授かったのか。
もう自らを必要とする者がいなくなった今、何を思い同じ場所にとどまり続けるのだろうか。

目の前にそびえ立つ木造三階建てをぼんやりと見つめながら、無意味な空想に耽った。

長い間潮風にさらされ続けた建物は、傍目にもずいぶんくたびれて見えた。

現代人の感覚でモノを言うなら、あまりに現実離れした出来事が日常的にくり返されてきた場所。

過疎化が進み寂れた現在地において、漁師たちで賑わった時代をいつでも思い出させてくれる建物は、住人たちの密やかな誇りなのかもしれない。

“遊郭があった”と言うことは、取りも直さずそれだけ人で賑わい活気があったと言うことだ。

 

今、地方はどこも苦境にあえいでいる。
少子高齢化と生産年齢人口の減少。原因は一様である。

以前よりは人が流動的になり、地方移住者や関係人口の増加という形で少しずつではあるが目に見えた成果が現れ始めている。

だが、根底にあるのは婚姻率と出生率の低迷、それ以外の何物でもない。
メディアは判で押したように“経済的な理由”をその原因に挙げ、悲観的な論調で国民を煽ってくる。

本筋とは関係ないのでこれ以上深堀りする気はないが、筆者はそれは間違っていると思っている。
金があればいいかと言うと、コトはそう単純ではない。

皆婚だった時代にあって、今の時代に足りないもの。
視点を少し変えて考えてみないと、的を得た対策なんて100年かかってもできないだろう。

 

話を戻そう。
筆者は漁村が好きである。それはたぶん、磯の香りがする土地で青春時代を過ごしたからだろうと思う。

時が止まったような古い町並みで、自分が知らない時代のことに想いを巡らせる。
愉悦に浸れる至福のひとときだ。

かつて遊郭があった場所に於いては、そこで紡がれた男と女の物語を考える。
男たちはなぜ大枚をはたくほど夢中になったのか。

衰退する地方の遠因とも言えるものは、かつて男たちが夢中になったものと本質的には同じではなかろうか。

その形容しがたい矛盾は、もしかしたら人類が背負う“業”の一種なのかもしれない。
そんなことを思った。

かつて海の男たちで賑わった漁村の岸壁からは、空と海の間に続く山並みがよく見渡せた。

 

それは、決して相容れない過去と未来を永遠に分かつかのように、悠然とそこに横たわっていた。

[訪問日:2019年5月5日]

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