岐阜県岐阜市。個人的に浅からぬ縁のあるまちである。
これまで何度となく訪れ、過去にもいくつか記事を書いた。
今回岐阜にやってきたのは、『柳ヶ瀬商店街』の再開発がいよいよのっぴきならぬ事態になってきたと言う不穏な話を聞き、もはや一刻の猶予もないことを強く危惧したからである。
柳ヶ瀬商店街については有名すぎるのでここで説明することもないだろう。
そしてもうひとつ。きっかけは忘れたが、岐阜駅の近くにある『繊維問屋街』のことを知り、それが強烈な動機づけになったことを付け加えておく。
そう、巷では有名な場所だが、実は筆者は最近まで知らなかった。
駅前の歩道橋の上に立ち、これまでも何度か見たことのある景色を、ようく眺めると・・
おおぉ!
何かある!!これか!!!
不覚にもこの入口にはまったく気がついてなかった…。
繊維問屋街
早速アーケード内に入ると、にわかには信じがたい光景が目に飛び込んできた。
これが名古屋の一大ベッドタウン、40万人都市の駅前なのか・・
目の前にあるのは、どう見ても寂れた地方都市の寂れた駅前アーケードのそれでしかなかった。
興奮さめやらぬ状態ではあるが、感想文のような文章はこの辺にして、ここが一体どんなところなのかと言う話をしていきたいと思う。
バラック since 戦後
戦後、焼け野原だった駅前に、北満州からの引揚者たちがバラックを建て、古着を売り始めた。
ハルピン街とも呼ばれたこの場所が、今の問屋街の始まりとなったそうだ。
昭和23年頃からは古着だけではなく服をつくって売るようになり、いわゆる既製服産業、今で言うアパレル産業が興った。
戦後で服もなかった時代、作れば売れる状態だった業界。
岐阜の既製服産業はすごい勢いで伸びていったと言う。
その後の紆余曲折は盛大にはしょるけども、とにかく岐阜は戦後からずっと基幹産業として、“アパレルのまち”であり続けたと。
なるほど。大変勉強になりました。。
岐阜って言えば長良川鵜飼と金津園しか知らなかったもんなぁ…
これで繊維問屋街がどんなところなのか大体わかった。
見ての通りアーケード内にはアパレル関連の小さなお店が立ち並ぶ。
シャッター街になってるのは、問屋さんなので週末は休みなのだというような話を聞いた。(この日は日曜日だった)
廃業してるものもそれなりにあるんだろうけども。
少しずつ再開発に侵食されているのか、近代の無個性なビルに完全に飲まれており問屋街だけが浮いた状態になっていた。
いつまでこの風景が残ってくれるか。
今となってはどこをどう歩いたかさっぱり憶えてないけど、結構な広さだったように思う。
できれば店が開いてる日に訪れたかったが、結局服しか売ってないからそれはそれであまり面白くない気もするな。
そう言えばこの問屋街では、毎年「せんい祭」なるイベントが年4回ほど開催されるらしい。
一般向けに格安で衣類が販売されるとのことで結構人気のイベントのようだ。
ざっと歩いてきたが、無骨なアーケードとシャッター街は写真の被写体としてはこれ以上ないほど魅力的だった。
夜は真っ暗だろうけど、ここで夜景撮るのも面白そうだな。
こんなところで繊維問屋街の話は終わりに・・するなんてとんでもない。実はここから先が本題である。
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コメント
現在JR岐阜駅前の2か所で再開発計画が進んでいます
JR岐阜駅目の前にある旧グランパレホテル(東側)と
コカコーラの看板があるビル一帯(西側)の2か所です
旧グランパレホテルは積水ハウスが土地建物を再開発の為、取得済みになっています
西側は大和ハウス系の会社が再開発を進めているようです
住居部分は無しで商業施設とオフィスで埋める計画でしたが
コロナの影響でオフィス需要が減り、商業施設の誘致も困難になってると思われるので
現在は一時中断になっていると思われます
ブログ主さんには申し訳ないですが
岐阜市民としては駅前の最後に残ったボロビル群は早く一掃してほしいのが本音です
夜は真っ暗。。。と思いきや照明がちゃんと点いて昼とは違う趣きですよ。