白壁土蔵の町並みと評される宇城市の松合。
一般には知名度は低いものの、見事な町並みが残っていた。
なぜ知名度が低いかと言うと、それは松合の衰退と関係している。
海運から陸運に移行していった明治時代、鉄道は半島の北側に開通。
港も、鉄道の終点である三角港にその中心が移り、松合の役目は終わった。
ちなみに、三角と言えば2015年に構成資産として世界遺産に登録された「三角西港」がある。これにより三角の知名度は爆上がりした感がある。
明治後期~大正期の港として、洋館が点在する面白いところである。
とは言え、江戸期の港として地域を支えた松合は言ってみれば先輩である。
三角西港を訪れる祭は、是非とも松合も併せて立ち寄ってほしいと思う。
山手方面へ
松合が面白いのは、町並みの多様性である。
集落が海と山に挟まれた地形にあり、北へ向かうと緩やかに上り坂となっている。
街道沿いは漁村、山手方面へ行くと今度は農村的な雰囲気を帯びてくる。
まぁ、あまり時間なかったので上までは行かなかったんだけど(笑)、興味のある方はどうぞ歩いてみてください。
集落の中央付近を南北に川が流れている。
このあたりでもう全然雰囲気が違う。
明治時代に千里眼で一躍脚光を浴びた「御船千鶴子」の生家跡。
大火からまちを守る役目を負わされた、かつての火除道。
明治時代には700戸ほどの土蔵白壁があったという松合。
現在は約60戸にまでその数を減らしている。
それでも、このまちを歩けば醸造と漁業で栄えた繁栄の歴史の一端に触れることができるはずだ。
穴場と言う言い方が相応しいかはわからないが、もっと脚光を浴びてもおかしくないと思える町並みがそこにはあった。
[訪問日:2019年10月11日]
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