別府の顔と言えばやはり「竹瓦温泉」だろう。
別府八湯の中でも別府温泉が最も駅から近く、建物が登録有形文化財になっていることも手伝い、ほとんどの観光客がまずここにやって来る。そう言うところだと思う。
この竹瓦温泉の目の前に、ひっそりと「竹瓦小路」と言うアーケードが伸びている。
何を呆けていたのか、ここに来たときにはその存在にすら気づいていなかった、後年個人的に勝手に因縁を感じていた場所である。
日本最古のアーケード、竹瓦小路
ただのアーケードかと思いきや、2009年に竹瓦温泉とともに経産省の「近代化産業遺産」に登録された、箔の付いた小路。
竹瓦小路はそんな肩書きを持っている。
中へ分け入ると、激渋な木造アーケードがその姿を現す。
しかしただのアーケードではない本当の理由は、その古さ。
ここができたのは1921(大正10)年。
今年ちょうど100年を迎える、現存する日本最古のアーケードなのだ。
幅約3m。全蓋式のアーケードは、なんとガラス張りの屋根。
全長は約60m。ちょうど流川通りと竹瓦温泉をつなぐような位置関係で立っている。
当時、楠港(今は埋められた旧別府港)に着いた旅客が雨に濡れずに竹瓦温泉まで行けるようにと、元豫州銀行の頭取だった佐々木長治と言う金持ちが土地を買い上げアーケードを建設。
竹瓦小路はこんなエピソードによって誕生した。
それから100年。
その後、別府港(国際観光港)が北へ約3km離れた場所へ移転すると、不夜城だった流川通りも段々と活気がなくなっていったそうだ。
竹瓦小路も衰退していく中、竹瓦温泉が2004年に登録有形文化財になったことを機に保存への機運が高まり、それに向けた活動が始まったと。
近代化産業遺産もその成果のひとつなのだろう。
天井からは、別府の工芸品である竹細工がぶら下がっている。中には電球が入っているので、夜に来ればさぞ情緒的な光景が拝めることだろう。
かつては八百屋、魚屋など商店が入居していたそうだが、今はワインバーやスナックなど飲食店がほとんどで一部住居があるようだった。
昨年末、と言ってもつい最近の話ではあるが、アーケードの完成100周年を祝うイベントが開かれたそうだ。
こうして盛り上げて行こうとする人がいる限りは、この小路の未来は明るいと言えるだろう。
こちらが中ほど、東側に伸びる路地。
縦構図が映える素晴らしいアーケードだった。
南側。コチラが楠港、つまり入口だったほう。
いつか夜に、ここをそぞろ歩いて竹瓦温泉へ行ってみたい。それも浴衣姿で。
国内最古の木造アーケード、そして近代化産業遺産。
短いけど、別府の歴史が凝縮された竹瓦小路は絶対に見ておくべき場所のひとつだと思った。
[訪問日:2019年11月2日]
コメント
初めまして。いつも楽しく拝見させていただいています。
別府は5年ほど住んだこともあり、たいへん懐かしく思います。
楠銀天街〜浜脇までの旧市街地は、花街や遊郭があったこともあり、レトロさが高いエリアですね。
ご存知かもしれませんが、楠銀天街途中にある中浜地蔵尊には、昔の古地図が飾られており、貸席や旅館などが記載されております。別府のレトロ探索のツールになることは間違いないです。
コメントありがとうございます。
楠銀天街は通しで歩いてるので中浜地蔵尊の前も通ってると思うのですが、そんな貴重な古地図があったなんてことはつゆ知らず…。
まだまだ観察力が甘いなぁと思い知らされました(笑)
次に別府に行くときは必ず立ち寄ります。貴重な情報ありがとうございました!
大分むぎ焼酎二階堂のCMが好きです。レトロな場所があちこち。ただし、臼杵市か竹田市ばかりで、別府市は「風の棲む町編」くらいしか出てきません。もっと別府市にスポットを当ててほしいです。
なんでなんでしょうねぇ。二階堂酒造って別府からも近いのに。
不思議ですね。