色街めぐりをするようになってから、生涯自分とは接点がなかったであろう街のことを知り、実際に足を運んだりするようになった。思えばこれほど妙なことはないのだが、そんな街のひとつが大阪・泉州にある貝塚市である。
ここに寄るためにわざわざ帰路に関空からの空路を選んだなどと言えばさすがに言い過ぎに当たるが、大なり小なり旅のプランニングに影響を与えたことは確かである。
そんな貝塚市には、江戸時代に成立したという大阪有数の歴史を誇る遊郭があった。
みかん畑にできた遊郭
大正3年には、「風紀上よろしくない」という集娼政策のもと、みかん畑だった現在の場所に移転させられている。このときの貸座敷免許者は32名、娼妓は60名であったと当時の大阪朝日新聞に記載されている。(『花街』異空間の都市史より参照)
駅前の地が採択されたのは、やはり利便性を慮ってのことなのだろうか。貝塚遊郭跡は、南海貝塚駅の北西、徒歩3分ほどの場所にある。
それにしても関西って駅前遊郭が多いですね。
『全国遊廓案内』によると、堺、岸和田、貝塚、佐野等の一帯が工場地帯だったので、と出自の理由について触れられている。
また、“宿場女郎が遊郭に形を変えた”とあるが、そばには紀州街道があるのでそれも得心が行く。
居稼(てらし)ではなく送り込み制で、回し(一人の遊女が複数の客を相手すること)は一切取らなかったとある。
そもそも成立(移転)が大正時代なため、現在残る遺構も非常にモダンな建物が多く見られた。
また、改装されて利用されているのも含めキレイなモノが多く、ある種涅槃の境地に達した死にそうな物件は皆無だった。
最初に目についたのがこちら。
住宅として転用されているものの、ほぼ往時の素晴らしい意匠をとどめている。
アーチを描いた窓が5つ。各々が商売用の空間であったことは想像に難くない。
「転業組」かと思うような古民家風喫茶店。
一見普通の民家っぽいけど、玄関がふたつあるのがどこか不自然。
かなりグレーだけど遺構のような気がする。
和洋折衷の奇妙な建物。
貝塚は、遊郭跡としてはすこぶるマイナーだし、旅の終わりの『おまけ』ぐらいの軽いノリで寄ったので、この収穫は、ありきたりな言い方をすればまさしく嬉しい誤算であった。
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