日間賀島から師崎港に戻り、常滑へ向けクルマを走らせた。
常滑と言えば六古窯の「常滑焼」で知られるまちだ。
窯元が点在する散歩道を散策する目的でやってきたが、ふと思い出した。
確か…常滑って赤線跡なかったか?
この結果、ちょっと寄り道して行くことが確定した。
過去にも多くの記事を書いてきたが、愛知や岐阜あたりの赤線は「○○園」と名が付いていることが多い。
常滑にあった赤線は『常楽園』。
場所は、遠い昔に常滑城があったあたり。住所で言うと常滑市市場町である。
常楽園については情報源があまりないので、先人が残したブログを参考にさせていただいた。
1枚目の写真、常滑街道沿いにある商店の角を南に折れる。
しばらく歩いて丁字路を左に曲がったあたりで、目的の建物との邂逅を果たした。
右側の建物が、かつてカフエーだったというのだ。
俄には信じられなかった。
きっと何も知らずにここを歩いていたら、これが元カフエーだったなんて露ほども思わなかったであろう。
あたりは、細い路地に古い木造家屋が密集していた。
地割はおろか、付近を歩いても“赤線っぽさ”は微塵も感じられなかった。
そしてこれもまた、元カフエーだと云ふ。
玄関まわりに微かに遊里の痕跡を認められた。
主を失って久しい様子だったが、男と女の情念が堆積したこの扉が再び開く日はやってくるのだろうか。
この路地にも、漂う嫖客で溢れていた時代があったのか。
そんな昔のことは忘れたと言わんばかりに、建物たちは何も語ってくれなかった。
流れた年月は残酷である。
坂を上っていく。
400年以上前に廃城となった常滑城が築かれたのが、この高台の上だ。
城跡を示す石碑と案内板があったようだが、そこまで行かずに引き返してしまった。
いかにも色里を思わせる棕櫚の木が、屋根を越える高さまで真っ直ぐに伸びていた。
まるで消えゆく痕跡を憂うように、存在を叫んでいるようだった。
そこは「正法寺」なるお寺だったが、庫裡となっているこの建物には遊里特有の匂いが感じられた。
前出のカフエーよりよっぽど“らしい”外観だった。
この通り、片側は駐車場になって随分すっきりしているが、昔は両脇に建物があってまさに色街然とした雰囲気だったそうだ。
入口付近に立つ居酒屋がまたなんとも悩ましい意匠をしている。
昔は何だったのだろう。
通り沿いに「常滑キネマ」と書かれた古民家があった。
昭和初期~後期まで存在した、同名の映画館の経営者だった方の自宅だそうだ。
こんなところで、常楽園跡の散策を終えることにした。
ずいぶん時間が経ってしまったので、文中で掲載した遺構がまだ残っているかどうかは保証しないことを最後に付け加えておく。
[訪問日:2020年12月28日]
コメント