善光寺街道の宿場町。蔵のまちなみ「稲荷山」を歩く

長野県
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日本三大車窓のひとつ、JR篠ノ井線の姨捨駅から眺める雄大な長野盆地の風景は「善光寺平」とも呼ばれる。
その姨捨のひとつ長野寄りの駅が「稲荷山駅」。
善光寺平の南端にあたる、かつて善光寺街道の宿場が置かれたまちである。

旧善光寺街道

その街道とは、塩尻の「洗馬宿」から中山道と分かれ、松本や麻績、稲荷山を通って長野市内の丹波島で北国街道に合流する北国西街道。別名を『善光寺街道』と呼んだ。

かつての稲荷山宿は稲荷山駅から南へ2km以上離れた場所にある。歩けば20~30分と言ったところだろうか。

この稲荷山は、明治以降は生糸や絹織物を中心に物資の集散地として栄え、北信濃有数の商都として繁栄。
その時代の名残が評価され、平成26(2014)年には「商家町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

保存地区は国道403号をまたぐ旧善光寺街道に沿ったエリアで、概ね東西約200m、南北約900mという範囲である。

細かいことは考えずにひとまず旧街道に沿って歩いてみよう。

稲荷山宿は幕末、1847(弘化4)年に発生した善光寺地震の火災によって壊滅的な被害を受けた。
だが、その後商都として復興し、明治期以降の発展へと繋がっていく。

この復興の過程で建てられた防火、耐火仕様の土蔵造りの建物が現在の稲荷山のベースとなっている。
「蔵のまち」や「蔵のまちなみ」と呼ばれるのはこれが理由である。

商都して栄えた時代の名残は、今も一部残る現役商店の姿に見て取れる。

重伝建になってからまだ年数が浅いこともあってか、あまり修景や整備事業が進んでいるようには見えなかった。
それはそれで、今後どのように変わって行くのか変遷を見守るのが楽しみであったりもするのだが。

“善光寺平最大の宿場”の称号は伊達ではなく、南北約1kmは結構長い…。
真夏にこの距離を歩くのはなかなか堪える😔

これとか分かりやすい土蔵造りだと思う。

「蔵のまちなみ」と言っても、ひしめき合うように残っているわけでもないしその実色々な様式の建物が混在しているので統一感はそこまでなかったりする。
まぁ、見どころが色々あって楽しいよね!っていうのがここの特徴かな、と。

すなわち、こんな大正モダンな商家があったりもすると。
そう。もう見たまんまだけど、こちらの「カクイチ田中商店」さんは元金物屋で大正時代の建物。

□の中に一が入ってるけどこれで「カクイチ」って読むんだろうね。

こちらの「田中園茶店」さんは、重伝建選定後の修景第一号だそうで。
平成27(2015)年に修復工事を行ったそう。

そう言えばここの商家はほとんどが平入りだったな、と改めて写真を見返して反芻。

この薬局も古そう。

宿場のほぼ真ん中あたりに、枡形の名残が見られる。
実は稲荷山はかつては稲荷山城の城下町で、これはその頃の名残のようだ。

このクランクが実に風情があって、どこから切り取っても絵になる。
写真の選定にかなり迷ったのも無理からぬ話・・と言うのは現地に行けばご理解頂けるかと思う。

(2ページ目へ続く)

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