新潟で最も栄えていた「本町通十四番町遊郭」。
そして、そのすぐ東側にあった「常盤町遊郭」。
旧常盤町遊郭(と思われるあたり)で見つけたその遺構は、願わくば安楽死を望まんとするほど、痛々しい姿を今なお晒しながら、ただ一人苦しみの余生を送るように映った。
苦界で生きる遊女たちの舞台という役割を担った業なのか、そこに立ち続ける理由などとうに失くしたはずであるその建物には、やせ細ったシュロの木がとてもよく似合っていた。
かつては「新松葉」という屋号を持つ妓楼だったが、戦後、転業して「旅館まつ葉」となったらしい。
ただ、30年ほど前に廃業したという情報もある。いつから空き家になったのかは定かではないが、明日壊されてもまったく不思議ではない様相を呈している。
裏に回ってみた。トタンで覆われ、なぜかリヤカーが置かれていた。
今しがたストリートビューで確認してみたら、今年の5月の時点ではまだ生存している。でもさすがにもう先は長くないと思う。
ちなみにこの建物、『赤線跡を歩く2』にも載っている。
現在では、唯一残る最も遺構らしい遺構である。消滅する前に、お早めにどうぞ。
【悲報】
2016年10月1日追記
こちらの新松葉さん、とうとう解体されてしまったようです。
非常に残念でなりません。心よりご冥福をお祈りします。
吸い込まれるように、遊郭時代の名残をとどめる細い路地にふらふらと入って行く。
往時の雰囲気をかなり色濃くとどめている。
どうやらこの路地は「ぬけられる」ようだ。さらに先へ進む。
抜けた先で出会ったのがこちら。住宅に転用されていたが、元妓楼のように見える佇まい。
そして、この新まつ葉の一本東側の通りには、もう二軒ほどそれっぽい建物が残っていた。
住所で言えば寄附町。
そう言えば道幅もやや広かったし、もしかしたら常盤町遊郭の大門通りはここだったのかもしれない。
新まつ葉通り(勝手に命名w)に残っていたラーメン屋。新潟なのになぜか東京軒。
どうやら2006年頃閉店したらしい。
消えた門の湯
そう言えば十四番町遊郭には、大門のすぐそばに「門の湯」という銭湯があるという情報を事前リサーチでつかんでいたのであぁそうだとばかりに見に行ってみた。
「・・・あれ?」
なん・・だ・・と!!?
なんと、無情にも門の湯さんはわずか2ヶ月ほど前に閉店し、すでに解体の憂き目に遭っていた。一足遅かったか。
立派な煙突にも無機質なカバーがかけられ、解体の魔の手は刻一刻と迫っていた。
そして今、ストリートビューで確認してみたら・・
駐車場になっていやがった(涙)
あぁ。ここに遊里があったという確かな証が・・またひとつ消えた。
でもまぁ。
はるばる新潟まで、この場所を見に来れただけでも十分じゃないかと思いながら、関越をひた走り、350kmにも及ぶ帰路へとついた。
おしまい。
[訪問日:2014年9月23日]
コメント
はじめまして、
最近 遊郭跡に興味を持ち始めましてブログ楽しく見せて頂いています。
本日、本町14の辺りを散策しに行ったのですが、
”旅館 新松葉” 更地になっていました。
とても残念です。
はじめまして。コメントありがとうございます。
新松葉、解体されてしまいましたか・・それは非常に残念です。
貴重な情報ありがとうございます。サイトに追記させていただきますね。