まち歩きには絶好の晴天であった。
心が洗われるような冬の朝に歩いた、豊橋・「有楽荘」の跡地。引き続き界隈の様子をレポートしていきたい。
予想以上に残っていた遺構たち
妓楼にしてはやや小ぶりであるこちらの遺構。
停めてある原二は住人のものだろうか。
鬼瓦がまたずいぶんといかめしい。イマジネーションが乏しいので何の意匠なのかよくわからない。
かつては「杜月」という屋号だったようだ。中桟にも「とげつ」とひらがなで書かれている。
ガラスにはうっすら旅館と書かれているので転業旅館だったのであろう。
お隣にはカフェー建築。“純カフェー”な建物はこの一軒だけであった。
しめ縄と門松が正月気分を盛り上げてくれる。
遊郭という場所は、商売繁盛のために縁起物や風水的なものをかなり信じていたはずなので、この正月スタイルも普通に納得できる。
見越しの松が斜めの方向に・・このまま伸び続けたらどうなるのかちょっと不安になってくる。
※2019年2月時点、こちらの建物もなくなっていました。
有楽荘で唯一現役なのがこちらの「寿司割烹新々」さん。のはずなんだけど、情報がまったくヒットしない。閉店しちゃったのかな。
ちなみに以前の屋号は、二階の窓にしつこく書かれてる通り「三楽」。
ちょこちょこ料理店の鑑札が残ってるんだけど、純然たる妓楼ではなかったってことなのかな。
それか、居稼ぎ制ではなく、芸妓と同じように娼妓も派遣されてたのか。イマイチ遊郭のシステムがよくわかっておらずで、どなたか詳しい方がいれば是非ご教授いただきたいと思う次第である。
その裏手にももう一軒。ホント遺構多いなぁ。
透かし彫りの意匠につい見入ってしまう。
そう言えば、散策中にちょっと困った出来事があった。
この手の場所というのは住民にとっては負の歴史であることが多く、あまり触れてほしくないと思う人だっている。
勿論それを理解しながら歩いてるし、例えば当時を知る古老なんかに咎められれば素直に引き返すけど・・
まぁ、今回は別にそういうのではなかったので問題はなかったけど。
別にやましいことをしているつもりはないが、なるべく悟られないように、風のように散策することを心がけるようにしている。
それが色街歩きの基本であり最低限の礼儀だと思っている。
やはり全国あちこち歩いてれば色々なことがある。それはもうしょうがないことだし、悲喜こもごもあらゆることが貴重な旅の1ページである。だからこそ旅というものを愛してやまないのかもしれない。
で、これが最後。小料理屋に転業して頑張っていたと思われる遺構。「千尋」の文字が残っていた。が、残念ながら永眠されてしまったようです。
このドアをくぐったら二度と帰って来れぬような異様な雰囲気を湛えている。出てきた料理を一心不乱に食べてたら豚になってました、みたいなストーリーでしょうか。
判断に迷うところだけど、リノベした遺構のような気がしたこちら。
うわ、今気づいたけど一軒見落としてた。赤がアクセントになった妖艶な建物が杜月さんの南側にあったらしい。しまった・・。
それがこちら。2019年2月時点でまだまだ健在だった。
おまけ
前夜に泊まった大黒屋旅館さん。
有楽荘とは無関係だけど、思わず女将さんに「遊女はどの部屋にいますか?」って訊ねようかと思ったほど雰囲気が元遊郭のような素晴らしいお宿でした。
是非機会があればご利用ください。
[訪問日:2016年1月2日]
コメント
私が歩いたころと、あんまり変わらないようです。
ここは、近くのコンビニに車を止めて
探索した記憶が。
ミニストップですよね。
僕は散策後にそこで珈琲飲みました(笑)
素晴らしいサイトですね!私は中村遊郭(名楽園)から歩いて15分ほどのところで生まれ、育ち、今も暮らし、大学の4年間は豊橋の小池で暮らしました。このレポートを拝見し、有楽荘のことが気になったので、今も豊橋に住む友人に「新々がまだ営業してるか見てきて!」と頼んだところ、返事が来ました。「平成29年4月10日現在、絶賛営業中!」と写メ付きで返事が来ました。ホッとしました(笑)よろしければ写真送ります!
べしさん
コメントありがとうございます。
ご実家が名楽園から15分で大学が小池とは…素晴らしい人生ですね(笑)
新々は割烹店だと思っていたのですが、あそこもその手の商売をされていたのですか?それは意外でした。
是非写真を拝見したいので、のちほどメールお送りしますね。
おまけの一つ上、リノベした赤い壁の家が今も健在です。
You Tubeでも紹介されています。