浅草アンダーグラウンド…略してAUG。
なんてDAIGOの披露宴に寄せた安倍首相のメッセージみたいなネタはさておき。
浅草駅前。吾妻橋交差点。何度となく目にした見慣れた風景である。
この景色の中に、とある物を見つけたのは比較的最近のことだった。
ただの銀座線への入口だと思って目に留まらなかったのであろう。しかしよく見ると「浅草地下街」と書かれている。
一応存在は知っていて、いつか行ってみようと漠然と思っていた浅草地下街。まさか入口がこんなところにあったとは・・
やっと行く機会を得たので、満を持して階段を降りていくと・・
衝撃的な光景がそこにはあった
地下に下りると、とてもあの小ぎれいな松屋の下にあるとは思えないショッキングな光景が目に飛び込んできた。
何より、雨漏り対策のビニ傘とバケツがあまりにもスタイリッシュすぎて衝撃を受けた。
地下街じゃなくて秘密基地か要塞のたぐいなんじゃないかとツッコミを入れたくなってくる。
そして「ヘアーカット700円 一流技術者」の文言がちょっと可笑しい。
ソラマチや浅草寺しか来たことないような“自称浅草マスター”は今だいぶ混乱してると思うので、ここがどういうところか簡単に説明しておこうと思う。
て、その前に・・
DVD3枚980円とはやっすいな(笑)
誕生は1955(昭和30)年。上野駅地下鉄ストア、三原橋地下街に次いで日本で三番目にできた地下商店街である。
そして、先輩二人の亡き今、日本最古の地下商店街の称号がこの浅草地下街には与えられている。
昭和の面影もそろそろ血眼になって探さないと見つけにくくなってきた時代に、まさか浅草駅直結の場所に昭和30年の遺産が残っていようとは・・
見渡せば、シャッターが閉まった空間も多く全体的にはがらんどうのようになってしまっている。あまり先が長くないようにも見える。
むき出しの配線と無骨な天井は昭和を思わせるに十分過ぎるスペックである。
当時はこれがスタンダードだったのであろう。
あまり活気が感じられないのは、まるで長生きにくたびれてしまったことを主張しているようにも感じられる。
それでもまだここを必要とする人がいることは確かである。
昭和30~40年代は、ここは仕事帰りのサラリーマンたちの憩いの場であったろうと思う。
50年前。当時の新入社員でさえすでにリタイアしていることを考えると、いかにこの地下街が長い時間を経ているかが理解できる。
今でも当時を懐かしんでここで呑む人たちだってきっといるはずである。
日本最古の肩書きを背に、その人達とともにひとつずつ歳を重ねていってほしいと切に願う次第である。
振り返るとそこはもう銀座線の乗り場だった。
こんなにアクセスのいい地下街もめったにあるもんじゃないよな。
そんなことを思いながらPASMOで改札を通り抜けた。
[訪問日:2016年3月21日]
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