文京区白山。
それは後楽園の北側に位置し、坂の多い文京区で、台地の谷間に位置する珍しく平坦な地。
かつて三業地(花街)がおかれ、それ以前には明治を代表する女流作家、樋口一葉の『にごりえ』の舞台となった場所である。
最寄り駅は都営三田線の白山駅。ここから少し南下した白山1丁目界隈がこの日の目的地である。
ちなみに樋口一葉?誰それ?って人はちょっと恥じたほうがいいかもしれない。普段使ってる紙幣の人物ぐらいは覚えておきましょう。
興味のない人は「樋口一葉 金爆」でググってみるとよろしいかと。これなら覚えられるんじゃないかな。
白山はかつて「指ヶ谷町」といって、明治時代、この地は銘酒屋が立ち並ぶ私娼窟だった。ここに住んでいた一葉は、私娼から書き物を頼まれたり相談相手になったり交流があったという。そのときの体験から『にごりえ』という名作が生まれたのであろう。
以下ざっとあらすじ
主人公は銘酒屋の売れっ子私娼「お力」。
①馴染み客、源七は妻子持ちの身でありながらお力に入れ込んだせいで貧困の極みに
②仕事もせずに家で腑抜けてる源七についに嫁激怒。源七ボロカスに詰められる
③逆ギレして壮絶な夫婦喧嘩のはてに離縁⇒嫁と子が家を出て行く
④血迷った源七が道ばたでお力を切りつけ、自らも自刃。つまり無理心中。
なんていうかもうね・・色街の哀しさと男のだらしなさを全部詰め込んだような作品でした。読後感が重い重いw
Kindle版は無料で読めるので、興味のある方はどうぞ。
時代は下り、白山は明治45年に三業地設置の許可が下りることに。以後順調に発展して、最盛期の昭和初期には待合が約90軒、芸妓が200人前後と都内の花街でも屈指の規模に成長する。
花街の灯は昭和54~55年頃の組合の解散によって消えてしまったが、戦災に遭わなかったため今でも細い路地や当時の建物を見ることができる。
町並みを見る
前置きが長くなりましたが、ここから実際の町並みを見ていきましょう。
かつて見番があったと思しき場所。ここから散策スタート。この日もバイブルは『東京 花街・粋な街』。
ただ、この本分厚いので持ち歩きにはちょっと向かない。
三業地の名残があるという「火伏不動堂」は跡形もなくなって、蔦のような葉っぱが繁茂していた。のっけから色々残念な展開である。
町内会はいまでも「指ヶ谷町」。そして素敵な提灯の先には、何やら古そうな木造家屋が立っている。
料亭浜乃家
その木造家屋こそが、料亭浜乃家。大正時代から続く老舗料亭で、正統なる白山花街の生き残りである。花街情緒の象徴でもある黒塀は見事としか言いようがない。
二階バルコニーには「濱乃家」の透かし彫りが見える。
花街時代の建物が、ほとんど手を加えられずに残っている事例は都内でも数えるほどしかないと思う。一見して空き家のようであったが、果たしていつまでその姿をとどめてくれるものか。
※「濱乃家」は惜しまれながら2021年5月に解体されました
そしてもう一軒。『花街・粋な街』の表紙を飾る元料亭「竹乃家」。
石畳の路地が花街情緒満天である。
屋号そのままに竹を配した粋な意匠が目を引く。この湾曲してるの何て言うんだろう。
こちらは個人宅として大事に使用されているよう。
もしこの付近が空襲で焼かれていたら、この風情ある路地も元料亭も今頃は無に帰していたであろう。
戦災に遭った東京においては、やはり貴重な建物である。
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コメント
私は白山に五十年近く住んでいますが、白山がかって花街だったという事実を今日初めて知りました。根津に遊郭があったというのも初めて知りました。いろいろ奥が深いですね。
そうでしたか。確かに今ではもうほとんど名残もありませんし、地元でもあまり知られていない事実なのかもしれませんね。
東京にはそういう昔○○だったという場所がたくさんあります。そのような場所を訪ね歩くのも面白いと思いますよ。