この記事を書く際に、ふと十数年前のことを思い出した。
それは学生時代のことで、岐阜の企業へ説明会に行った折、帰りのバス待ちで話しかけられた同じ就活生と意気投合し、連絡先を交換した。
その後、名古屋の企業に面接を受けに行ったときに、その彼の部屋に泊めてもらったのだ。
それが瀬戸市であり、彼は南山大の学生だった。
栄町から名鉄瀬戸線に揺られること30分。
高速道路で通過したことはあれど、瀬戸の地を踏んだのはもしかしたらそのとき以来かもしれない。もちろんこのときはそんなことは忘れていたので、懐かしさなどは皆無だった。
駅前にはなんとも不相応な建築物が建つ。
地元愛知出身の巨匠、故・黒川紀章がデザインした複合施設である。
瀬戸市と言えば、もはや説明不要なほど有名な焼き物の産地である。
市井の人には「瀬戸焼」よりも総称で使われる「瀬戸物」のほうがなじみが深いであろう。地名が代名詞になるほどここの焼き物は有名なのである。
そんな瀬戸にやってきたのは、実は以前から焼き物に関心を持っていたから・・なんてことは残念ながらない。
焼き物の話じゃこのブログの記事書けないし・・
銀座通り商店街
尾張瀬戸駅の近くに、昭和レトロな商店街がなんと二つもあると聞いてやってきたのだ。
一つ目が・・見えてきた。駅の東側にある「銀座通り商店街」である。
店舗数約50。その名は、瀬戸随一の繁華街だったことに由来しているそうである。
まぁ「銀座」を冠した商店街は大抵どこもそんな理由だろうと思う。
誕生は明治時代とも。ただ、現存する店舗は大正~昭和初期頃が最古で、商店街として形成されたのはこの頃ではないか、と。いずれにせよアーケード商店街としてはかなりの古老である。
こちら、昭和4年創業の原田写真館。ほぼ当時の姿のまま残っている。
豆タイルがなんとも可愛らしい。
地域密着型の商店街ではこういうローカルな光景を見れることもあるようである。だいたいが森永か明治というところ、実に珍しい。
ちなみにアーケードが完成したのは昭和39年だそうである。あぁ、1964年、オリンピックイヤーだ。
さすがに焼き物の店もあった。
って、書いといてなんだけど「焼き物」ってあまり日常会話じゃ言わない気がしてきた。まだ「陶器」のほうが違和感なくしっくりくるような。
ま、どっちでもいっか。
おっと。もう反対側に抜けてしまった。意外と短い商店街だった。古いけど小ぎれいな印象を受けた。いいとこだったけど、個人的には末期的なオンボロ商店街のほうが刺さる。
抜けた先には深川神社の大鳥居。よく見ると足元に焼き物があしらわれている。
さすがは焼き物の街。なかなかいいセンスをしている。
市の中心部を流れる矢田川。この日は朝から好天であった。
春の陽気も手伝い、絶好のまち歩き日和。
と言いたいところだけど、攻撃の手をまったくゆるめない天敵に苦しめられ、終始心がくじけそうであった。
何を隠そう、毎年この時期は花粉戦隊マスクマンなのである。
長年死闘をくり広げているものの・・一向に勝てる兆しはない。
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